尊富士を新入幕Vに導いた横綱・照ノ富士“魔法の言葉”の説得力

 大相撲春場所で、110年ぶりという「新入幕優勝」を果たした尊富士。その春場所では13日目まで12勝1敗と豊昇龍らに2勝差つけて単独トップに立ったが、勝てば優勝が決まるという14日目に試練が訪れた。

「朝乃山に寄り切られ2敗目を喫したのですが、その際に右足を痛めてしまった。自力で歩けず車いすで支度部屋への移動となり、場内は騒然としました」(相撲ライター)

 結果的には千秋楽の取組は怪我を押して出場し、豪ノ山を破って自力で優勝を決めた、優勝インタビューでは「15日間土俵に上がることが力士としての務めだ」と自らの意志で千秋楽の土俵に上がったことを語っていた。

「もちろん最後は自身の意志で出場を決めたわけですが、右足の激痛のため、前日夜にはとても相撲が取れる状態ではなく、一時は休場する方向で伊勢ヶ浜親方と話をしていたといいます」(前出・相撲ライター)

 それがなぜ、一転出場する気持ちになったのか。そこには同部屋の横綱・照ノ富士のひと言があったのだという。25日の会見で尊富士は、14日目の夜に照ノ富士が自信の部屋に来たことを明かし、「お前ならやれる。記録はいいから記憶に残せ。このチャンスはもう戻ってこないよ」と声をかけられたことを語ったのだ。

 尊富士はその瞬間に「少し歩けるようになった。急にスイッチが変わった。自分で自分が怖くなった」と、急に自分の足で歩けるようになり、周囲を驚かせたのだという。

「照ノ富士も大きな怪我を経験しています。大関だった平成29年7月場所から痛めていた左膝を悪化させ場が多くなり、関脇に陥落すると30年7月場所には幕下まで陥落。怪我や糖尿病の影響もあって一時は引退も考えたそうです。ただ、師匠の伊勢ヶ浜親方らの説得もあって復活を決意。序二段まで陥落した31年3月場所から土俵に復帰すると、令和2年7月場所には幕内復帰。3年5月場所には大関に返り咲き、9月場所にはとうとう横綱昇進を果たし、ここまで幕内優勝9回。ひとり横綱として角界を支える存在になったのです」

 そんな偉大な兄弟子の“魔法の言葉”に背中を押されて快挙を成し遂げた尊富士は照ノ富士から「俺の9回の優勝より、お前の相撲の方が嬉しかった」と言葉をかけられたという。右足首の怪我の具合は気になるところだが、来場所以降も記憶に残る活躍に期待したい。

(石見剣)

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