槇原寛己が桑田真澄との“仁義なき”「投手内派閥」明かした!

 90年代、巨人の3本柱として活躍した槇原寛己と桑田真澄の両投手の間に、何やらキナ臭い派閥争いがあった? 槇原氏のYouTubeチャンネル〈ミスターパーフェクト槙原〉の12月1日更新回で明かされた。
 
 独特なピッチングフォームでMLBでも活躍した岡島秀樹氏が出演。岡島投手は93年ドラフト3位で巨人入り、一軍での初出場は95年10月6日。この年は、先発でマウンドに上がり、5回を勝敗つかずの自責点1に抑えたこの1試合のみの登板となったが、桑田氏の目に留まった。シーズン後の秋季キャンプで同部屋になると、オーストラリアでの自主トレに誘われ、以来、桑田氏が引退するまで参加し続けたという。
 
 槇原氏が説明するには、当時の巨人投手陣は、冬場に行う自主トレの行先として、桑田氏が率いるオーストラリア組と槇原氏のグアム組があって、なんとなく派閥が形成されていたという。それぞれが何をやっているのか当時は特に探りを入れ合うこともなかったというが、槇原氏にはどうしても気になることがあったようで、岡島氏にこう聞いた。
 
「で、オーストラリア組は、飛行機(代)は自分で出してるよね?」

「出してます」

「良かった〜。これを桑田がもし出してたとしたら、オレもグアム便出さなきゃいけなかったのかなって今、思っちゃうから」

 ホッとした様子の槇原氏だが、「泊まるところと、食事代は出してくれてましたね、桑田さんがね」と聞くと、ノーリアクションだった。

 さらに岡島氏は派閥の対抗心について、こう踏み込んだ。

「桑田さんって、グアム組にはライバル心ありましたよ。グアム組がケガするとかあったとき、今度はオーストラリア組がケガしたり体調崩しちゃったりすると『負けるなよ』みたいな感じで言ってました」

 すると槇原氏は、

「ちょっとオレもあった。グアム組が一軍に何人も残って欲しいなって思ってた」

 来季から巨人のファーム総監督を任される桑田氏。寡黙で野球一筋のような印象だが、オーストラリアでは後輩たちとカジノやゴルフも楽しんでいたという。後輩とのコミュニケーション能力には長けているようだ。

(所ひで/ユーチューブライター)

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