広島・鈴木誠也外野手の米球界挑戦がいよいよ本格化する。ポスティングシステムの行使が公示され、同時にMLB機構が全30球団に「交渉解禁」を通知した。
「マリナーズ、レンジャーズ、ジャイアンツが優勢と伝えられています。大谷翔平を口説き落とした前エンゼルスGMのビリー・エプラー氏がメッツの新GMに就任したことで、巻き返しがあるのではないかと予想する声も出始めました」(スポーツ紙記者)
鈴木の米球界挑戦において、目につくのは「ずっと見てきた」との言葉。米球団のスカウトやチーム幹部が日本メディアの取材に応じるかたちでそうコメントしているのだが、高校野球界からは“ちょっと異なる証言”も聞こえてきた。
手を上げるのは西海岸、ロサンゼルス近郊の球団ではないか――。
話は、鈴木が二松学舎大付高校2年生だった2011年12月に遡る。当時の鈴木は“東京都代表チームのメンバー”に選ばれ、米ロサンゼルスに遠征している。
「ロサンゼルスにMLB全球団がお金を出し合って立ち上げた野球学校みたいな組織があるんです。その『アーバンユースアカデミー』から、都高野連に打診があって、東京都の高校生代表チームと現地で親善試合(4試合)が行われました」(当時を知る関係者)
そのとき、鈴木は投手としてエントリーされたが、野手出場もしている。3本塁打を放ち、そのパンチ力と勝負強さから、現地コーチたちから一目置かれた。米球界スカウトも試合会場となったカリフォルニア州コンプトン市まで足を運んでいたそうだ。
鈴木が長距離砲として注目されたのは、緒方カープの快進撃が始まったころ。「神ってる」が流行語になった16年ごろだ。その後は侍ジャパンの4番打者として顔を売ったが、もし交渉のテーブルで「11年12月の試合を観てたよ」と言われたら、グラッと来るかもしれない。
現地アカデミーとの試合に駆け付けたのは、主に西海岸のチーム関係者だといわれる。もしかすると今後、まだ名前の出ていない西部地区の球団が獲得に名乗りを上げるかもしれない。交渉の席では「昔から見ていた」ではなく、「どれくらい昔から見ていたのか?」が問われそうだ。
(スポーツライター・飯山満)