理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピューター「富岳」が、計算速度を競う「TOP500」など4部門の世界ランキングで、昨年6月と11月に続き、3期連続で4冠を達成したのは今年6月のことだ。
その開発を主導した理化学研究所計算科学研究センター長の松岡聡氏(58)が、実は40年ほど前に家庭用ゲーム機(ファミコン)で大ヒットしたソフト「ピンボール」の開発を手掛け、それがスパコン開発に繋がったと、神戸新聞NEXT(18日配信)に語ったことで、SNS上では《えっ、スパコンの原点はゲームだったのか?》《まさか、富岳の生みの親がゲームのプログラマーだったなんてたまげた!》といった驚きの声が上がっている。
記事によれば、東京出身の松岡氏は子供のころからロケット製作に憧れ、電気工作に没頭。小学校4年の時に家族で渡米、中学2年で帰国した後、秋葉原で目にしたコンピューターに衝撃を受けたという。とはいえ当時、コンピューターはまだ非常に高価で、とてもではないが中学生が購入できるシロモノではない。そこで専門書や雑誌を読み漁り、中学3年の時、宇宙戦艦ヤマトをモチーフにしたゲームを初めてプログラミング。高校時代には西武池袋店にあったパソコンコーナーに通いつめ、東大進学後、そこに集う同世代の若者たちとITベンチャーの仕事に携わったことが、この世界で活躍するきっかけになったという。
ITライターが語る。
「松岡氏たちが集まっていた西武百貨店池袋店のパソコンコーナーには、後に任天堂の代表取締役となる岩田聡氏(故人)もいて、そんな学生パソコンマニア達に、岩崎技研工業が出資し、1980年に立ち上げられたのが『HAL研究所』だったんです。ただ、研究所といっても、社員はひとりで、他の6人は全員学生アルバイト。秋葉原にあるマンションの一室を借り、そこで開発がスタートしたと言われています」
社名の「HAL」は、IBMの一歩先を行くという意味から、「IBM」のアルファベットを1文字ずつ前にずらしたものだという。
「当時はまだパソコンがマイコンと呼ばれていた時代。『HAL研究所』は周辺機器などを多く手がけていましたが、パソコン画像表示とサウンド能力を向上させるユニットPCGシリーズをヒットさせるなど、業界でも注目される会社だったようです。83年に任天堂からファミリーコンピューターが発売されると、ファミコン市場に参入。ただ、1作目のソフトは事情があり任天堂からは発売されず、2作目として作られた『ピンボール』が、84年2月に任天堂から発売されたファミコン初リリース作品となったそうです」(前出・ライター)
「ピンボール」は100万本以上の売り上げを記録。同ソフトのプログラミングを担当したのが、松岡氏だった。
以降、HAL研究所は、任天堂ブランドで発売された『ゴルフ』『マッハライダー』『バルーンファイト』『F1レース』などの開発に携わったが、松岡氏は89年に東大大学院博士課程から同大学情報工学専攻講師を経て、東京工業大学学術国際情報センター教授に就任。2002年からは国立情報学研究所の客員教授を兼任し、2018年に理化学研究所計算科学研究センターのセンター長に就任している。
そんな松岡氏は同紙に《いまスパコンで行われている取り組みは、そのうちゲームにおりてくる》と語っているが、富岳レベルの高機能搭載ゲームが出来る日も近い?
(灯倫太郎)