薬師丸がキスシーンで原田知世に完勝 アイドル史に残る「覇権争い」10番勝負(1)

 日本のあらゆるアイドルシーンは、強力なライバルがいることで「天下獲り」へのモチベーションとなった。グループ、グラドル、女優、歌姫、そして女子アナまで、歴史に名を刻んだ「永遠のライバル対決」をここに再現する!

 80年にデビューした松田聖子と、82年にデビューした中森明菜は、80年代のアイドル黄金期で女王の座を激しく争う。元「ジャズ批評」編集長で、アイドル文化にも詳しい原田和典氏が解説する。

「髪型、ファッションも含めて女性ファンからもとても人気があり、『聖子ちゃん』『明菜ちゃん』と呼ばれていた。ちゃんづけで同性に呼ばれる女性アイドルはなかなかいないと思う。これは、親しみやすい部分と憧れる部分を併せ持っていたからこそ」

 そんな2人は、歌声においても大きな違いがあった。

「常に80点以上が聖子だとすれば、ひょっとしたら50点以下にも120点にもなるかもしれないスリルが明菜にあったんです」(前出・原田氏)

 それはどういうことか。

「歌っている間だけ曲の主人公になり切っていて、終わったらすぐ元に戻る職業性が聖子。歌い終わったあともその世界にずっと浸っていそうなのが明菜。すべての面で対照的でした」(前出・原田氏)

 聖子は今も現役感があるが、明菜の沈黙が気になるところだ。

 同じ80年代初期には、映画館のスクリーンで薬師丸ひろ子と原田知世が静かな火花を散らした。2人とも「角川映画」の専属で、テレビに出ることも少なく、映画で会えるアイドルに君臨。芸能評論家・織田祐二氏が分析する。

「83年に公開された薬師丸主演の『探偵物語』と原田主演の『時をかける少女』の2本立ては最高すぎた。ただ、社会現象になった『セーラー服と機関銃』(81年)を入れると、薬師丸に軍配が上がるかと思います」

 まだ10代だった2人を目当てに、映画館に長蛇の列ができる。それが年に2度ほどあるのは、日本の映画史においても稀有なことだった。

「まあ、初期の原田の棒読み演技は苦笑ものでしたが、薬師丸は若くしてしっかり演技。肌着姿になって松田優作とベッドに入るとか、ある程度、体も張っていた。キスシーンも薬師丸が上でした」(前出・織田氏)

 ただ、水着グラビアが当たり前の80年代にあって、2人に関してはそれが皆無。きちんとブレーキをかけていた。

「ファンも見たいと思わなかったんでしょう。映画の質重視で、映画アイドル女優が最高に輝いていた時代です」(前出・織田氏)

 驚くべきは、薬師丸ひろ子も原田知世も今なお、第一線の現役女優であること。チケットを買って劇場に詰めかけたファンの視線に対し、50代になっても変わらず、きちんと責任を果たしていると言えそうだ。

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