「箱根駅伝」昔は何でもアリ!日本大学に“替え玉”が発覚した理由とは?

 毎年、正月2日から2日間にわたって行われる箱根駅伝。。毎年30パーセント近くの視聴率を誇る、日テレ最強のキラーコンテンツ。今年もコロナ禍で無観客による開催が決定し、巣ごもり習慣を追い風に、歴代最高視聴率を取るのではないかと期待されている。

「毎年、100万人を超える観客が応援団として路上に溢れかえって、声援を送っていますが、そうした熱狂的ファンがテレビ観戦に回ると予想されます。また、密を避けて、三が日は初詣に出かけないという高齢者も多く、40パーセント超えを予想する声も聞かれます」(民放キー局関係者)

 今年は例年にない盛り上がりを見せている箱根駅伝。そのルーツは1917年に開催された日本初の駅伝「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」にさかのぼる。これは東京・京都間を23区間にわけて走るという壮大なレースだった。この成功をもとに、箱根駅伝の第1回が行われたのはそれから3年後、第一次世界大戦直後にもかかわらず、初の大学対抗駅伝は日本中で盛り上がった。

「当初は何でもアリの状態。スタートとゴールしか設定されておらず、また、今のように道路も舗装されていなかったため、5区の山登りではランナーが走るコースはバラバラ。それぞれが最短ルートを探りながらデコボコの山道を駆け上がっていったそうです」(スポーツライター)

 そんな中で起きたのが替え玉事件。登録選手とは別の、いや、学生ですらない人物が選手の代わりに箱根を走ったのだった。

「1925年の第6回大会で、第三区を走る日本大学の選手を見て他の大学の参加選手たちは、『あれは誰だ』とざわついたんです。今まで見たこともない人物だったからです。その替え玉選手は、第二区の選手から襷(タスキ)を渡された際『アラヨット!』と掛け声を上げ、その様子を見た別の選手が、『あれは学生じゃない。人力車夫ではないか』と気づいて発覚したそうです」(前出・スポーツライター)

 当時の東京はタクシーなどはなく、人力車が庶民の足として活躍していた。数人の乗客を乗せて駆け回る人力車夫は筋骨隆々、学生の体つきとはまったく異なっていたようだ。プロ以外の何者ではない。バレるのは時間の問題だったかもしれない。

 この替え玉事件で、日本大学は、公式記録取り消しだけは免れたものの、翌年の第7回は出場を辞退することになった。この事件をきっかけとしてアマチュア規定が改正され、車夫は「職業競技者」として予選や国内競技会に参加できなくなったという。

 今年は沿道で声援を送るファンはいない。学生たちがひと気のないコースを走る今回の「無観客レース」もまた、箱根駅伝の歴史に刻まれることになるだろう。

(月見文哉)

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