前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~靖國参拝の意義~

 靖國神社宮司の大塚海夫氏は、私の朋友である。

 防衛大学卒業後、海上自衛隊に奉職。名前通りの「海の男」として海自の要職を歴任し、防衛省のインテリジェンスを総括する情報本部長まで務めた逸材。私が外務省のインテリジェンス部門の責任者(国際情報統括官)の時、防衛省と外務省との間の協力を大きく推進できたのも彼のお陰だ。

 自衛隊退官後は戦後初めて自衛隊出身の大使としてアフリカのジブチで大活躍。海賊対策のために自衛隊部隊が常駐する国だけに、大塚大使の存在は格段の重みをもって受け止められた。自衛隊のみならず外交当局にまで及ぶ豊富な国際経験に着目して靖国神社から招請されたのも、むべなるかなだ。

 彼の英語は海上自衛隊艦艇の機銃のようによどみなく、並みの外務官僚より遥かにうまい。暁星仕込みのフランス語はジブチでも存分に威力を発揮した。

 そんな宮司がいるからこそ、外国からの賓客を始め色々な人を靖國神社にご案内して、ステレオタイプに囚われない正しい理解を促進できる時が来たと受け止めている。

 というのも、外務省時代、直属の上司だったアジア局長から「(来日する)中国人要人を(靖國神社ではなく)千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に案内せよ」などと指示を受け、元次官からは「靖国神社はともかく、遊就館の展示がひどい」などとする発言に示されるような、根強い誤解と偏見に接してきたからだ。

 最近、外国籍乃至は外国出身者の友人を案内する機会が相次いだ。豪州の元軍高官夫妻、中国からの帰化人、欧州某国の大使夫妻、英国の元情報当局高官などだ。

 宮司や権宮司の出迎えを受けて本殿で参拝する名誉に浴したいずれの来訪者も、「素晴らしい貴重な経験だった」「一生忘れない」とする賛辞を寄せてきた。

 外交辞令ではない。靖國には人を引き付けて止まないものがあるからだ。本殿に上がれば、都会の喧騒とは無縁の世界がある。時間も空気の流れも止まっているかのごとくだ。自ずと英霊の犠牲と献身に思いが至る。

 参拝直前に遊就館を見学し、特攻で散華した英霊の遺書に接し、「花嫁人形」を見て目を赤く腫らした大使夫人の有様をみるにつけ、国境を越えた訴求力を改めて思い知った。

 翻って、現役の外交官時代。アメリカ、イギリス、オーストラリアといった任地に赴任するにつけ、国の為に命を捧げた軍人の慰霊碑に率先して足を運び、献花した。「責務、名誉、国家」:マッカーサーの言葉を待つまでもなく、軍人が抱く志は万国共通だからだ。

 戦後80年。激しく干戈を交えた連合国と確固とした戦後和解を達成し、いまや価値を共有し、戦略的挑戦に共に向き合う間柄だ。われらの自衛隊が同盟国、特別な戦略的パートナーであるこれらの国々の軍人と肩を並べて武器を取らなければならない局面は待ったなしだ。

 だからこそ、インド太平洋の平和と安定を守るべく共同訓練、演習が何度も行われてきたし、今後も目白押しだ。同時に、共に戦う際に何よりも大事なのは相互のリスペクト。その意味で、広島の平和記念公園に共に足を運ぶ時代になったのは結構なことだ。同時に、日本の総理大臣とアメリカの大統領、さらには戦略的パートナー国の首脳が揃って靖國神社に参拝する姿を見たいと切望している。

 石破総理が靖國神社の英霊は中国を侵略したなどと賢しげに述べて参拝を忌避するなら、次の政権でこそ実現して欲しいと思う。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。

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