12月8日、反体制派によるシリア首都ダマスカスへの侵攻を受け政権が崩壊。妻アスマ氏とともにロシアに逃げ、同国で亡命が認められたアサド前大統領。22日付のトルコメディアの報道によれば、前大統領夫人はアサド氏との離婚を申請し故郷イギリスに戻ることを望んでいるものの、イギリス側がこれを拒否。さらに、アサド氏がモスクワで監禁状態に置かれ、財産が凍結されていると伝えている。ただ、クレムリンの報道官はこの事実を否定しているため、アサド夫妻の現状については明らかになっていない。
そんなアサド氏と個人的に蜜月関係を持ち、同氏率いる独裁政権ともズブズブの関係にあったのが、北朝鮮の金正恩総書記だった。北朝鮮ウォッチャーが語る。
「両国の親密な関係は、アサド氏、正恩氏の父親の代からで、アサド氏の父、ハフェズ氏は1971年のクーデター後の74年頃に北朝鮮を訪問。そこで盗聴や秘密警察を用いた住民監視方法や政治犯収容所の設置ほか、指導者をいかに偶像化させるのかといった思想統制などを含め、独裁国家の基盤を学んだと言われています。つまり、シリアという独裁国家は、北朝鮮の完全なコピー版だといっても過言ではないということです」
両国は息子の代になってからも盟友関係が続き、北朝鮮に義理立てするシリアは、国連加盟国の中で唯一、韓国との国交を持たない国としても知られていた。
そんなこともあるのか、これまで北朝鮮の「労働新聞」では、頻繁にシリアの動向を報じている。今年も1月の年賀状に始まり、3月には「シリア革命61周年の祝電」、4月には「シリア独立78周年で祝電」、そして5月には「アサド氏のバース・アラブ社会党書記長への再選で祝電」などなど、毎月のように一面トップで伝えていた。
12月に入ってからも「労働新聞」は、シリアに対する米国の「厚顔無恥な行為」をロシアの国連大使が糾弾したと報道していたが(7日付)、アサド政権が崩壊した翌8日、同日付の北朝鮮政府機関紙「民主朝鮮」が「シリア情勢激化の責任は米国にある」と訴える記事の掲載を最後に、北朝鮮メディアがシリア情勢を伝えることは一切なくなくなったのである。
「独裁者にとって、クーデターや反体制派による政権崩壊のニュースは、文字通り対岸の火事ではすまされない深刻な出来事。過去にもルーマニアやイラク、リビアなどで独裁者が倒され、そのたびに世界の独裁者たちは『次は自分の番ではないのか』と身構え、戦々恐々の思いを募らせたはずです。しかも、今回はアサド大統領という金正恩氏にとっていわば盟友が率いる政権崩壊のニュース。大きな衝撃を受けたことは間違いありません」(同)
そんな正恩氏の動揺ぶりが、突如、北朝鮮メディアからシリア問題が報じられなくなった理由なのだろうか。
崩壊したアサド政権は、長年にわたり北朝鮮との間で化学兵器や核開発を巡る協力にあり、シリアに残された資料などから今後は両国の闇に包まれた関係が徐々に明らかになっていくだろう。果たして盟友が支配していた独裁政権崩壊と亡命を、北朝鮮の独裁者はどんな思いで見つめているのだろうか。
(灯倫太郎)