アサド政権崩壊でシリアに残された「化学兵器」の懸念

 父親の代から50年以上続いてきたシリアのアサド政権が崩壊したしたのは12月8日のこと。アサド前大統領が16日、ロシアに亡命後初めて「テレグラム」で声明を発表した。

 声明によれば、テロリスト勢力によるダマスカス侵入を受け、ラタキア(シリアの湾港都市)に移動したものの、《我々の部隊が全ての戦線から完全に撤退し、最後の軍の陣地が陥落した》と聞き、基地から脱出する現実的な手段がなかったために《ロシア政府は同国への即時退避を手配するよう基地司令部に要請した》《いかなる時点でも辞任や退避は考えたことはなく、どこからもそのような提案はなかった》と、緊急的な避難行為だったという。

 とはいえ、9日には、クレムリンのペスコフ報道官がアサド氏のロシアへの亡命決定を発表していることから、これが独裁者によくみられる単なる負け惜しみの弁であることは明らかだ。

 さて、独裁者が去った首都ダマスカス近郊では、反体制派による刑務所の開放が相次いでいる。シリアでは処刑や拷問などで命を奪われた市民は十数万人。今もなおダマスカス郊外のサイドナヤ刑務所などには、政治犯として投獄されていた人々が数万人収容されており、反体制派の救助団体「シリア民間防衛隊=ホワイト・ヘルメット」による救助活動が続いている。

「アルジャジーラの報道によれば、すでに同刑務所からは受刑者2万人以上を解放したようですが、所内のいたるところから数えきれないほどの遺体が見つかっていることから、日常的に処刑が行われていたことは間違いない。救助隊員も、『これは刑務所ではない、単なる大虐殺現場だ』と、惨状を語っています。同様に大量殺戮が繰り返されていたとされる刑務所は他にも中部にあるタドムル刑務所など数か所あり、全面的な開放にはまだしばらく時間を要すると報じられています」(国際部記者)

 アサド氏の圧政に反対する抗議行動が弾圧され内戦が激化したのは2011年のことだが、以降、殺害されたシリア人は数十万人。サイドナヤ刑務所拘束者・行方不明者協会の22年調査によれば、7年間で3万人以上が処刑や拷問、飢えや医療措置の欠如のため刑務所内で死亡したことが明らかになっているという。そして大量虐殺に使われたのが、化学兵器だった。

 アサド政権は反政府勢力や市民に対し、幾度となく塩素やサリンなどの化学兵器を使用しているが、シリアがどれほどの量の化学兵器を保有しているかは不明だ。

「当然、国際社会からの猛反発を受け、シリアは13年に化学兵器禁止条約(CWC)に加盟。在庫を処分することに合意している。とはいえ、それは表向きの話で、すでに同年9月以降には、少なくとも106回の化学兵器攻撃がシリアで行われたことを示す証拠が明らかになっているんです」(同)

 シリア政府が化学兵器禁止機関(OPCW)と国連に破棄すると申告した化学物質は1300トンとされるが、同国での化学兵器攻撃が続いたことを考えれば、適当に申告した数字に過ぎないだろう。

「実際、アサド政権がサリンなどの化学兵器をどのぐらいの数保有していたかを示すデータは見つかっていません。しかも、アサド氏が亡命してしまった今、化学兵器は放置されたままになっている。これを狙って、アルカイダをはじめ各国のテロ組織が暗躍しているという情報もあります。化学兵器略奪を狙い、中東に血の雨が降る可能性も否定できないということです」(同)

 化学兵器の使用は、明確な軍事標的の有無にかかわらず、国際人道法で禁止されている。

(灯倫太郎)

ライフ