病気を告白した反響はすぐに自宅まで寄せられた。
「ありがたいことに、同級生とか一緒に遊んでいた連中から連絡がきてビックリしました。20年ぶりに話した人もいたっけな。そのほとんどを妻が対応してくれて、私が仕事の時は『今は留守にしていて。その節は大変お世話になりました』なんて話してくれてね」
結婚生活44年目を迎えた伴侶こそ、かけがえのない存在だという。
「今回のインタビューを受けるにあたって、私の病気に関連する妻とのエピソードを思い返してみたんですけど何も思いつかないんですよね(笑)。というのも、妻は鈍感を装って細かいことを語らない性分といいますか、これまでも『あなたのこの行動が困るのよ』というふうに分析されることもなかった。どちらかといえば私は気が小さくて、彼女の方がおおらかな性格。これが非常にコンフォタブル(快適)な関係なんです。交際していた頃からケンカをした記憶もありません」
アルツハイマー型認知症は短期記憶から抜け落ちていく。前日の夕飯を質問したところ、
「う〜ん、たぶん食べましたね。妻は料理が好きで、いつも色々作ってくれるんですが‥‥、うまく答えられません。確か、ワンプレートで色々盛りつけてくれたと思うんです。カレーライスやチャーハンならスパッと答えられるのですが‥‥」
と自信なさげに記憶を手繰り寄せていた。一方で、人生を共に過ごしてきたパートナーとの馴れ初めは色鮮やかに記憶している。
「今でも、目をつぶると六本木で出会った光景が思い浮かびます。『桂竜也の夕焼けワイド』(文化放送)の街頭インタビューを終えた後でした。中継車の周辺でスタッフと撤収作業をしていたら、妻とその友人が『何やってんですか?』と尋ねてきたんです。『文化放送?えっ、そんな番組知らないわ』みたいなやり取りをしていく中で、仲のいいディレクター1人を誘って、近くの喫茶店でお茶をすることになったんです。きっと私にも下心があったんだと思います(笑)。女性3人と男性2人の〝即席コンパ〟で仲よくなりました。よく考えたら、これナンパですよね?(笑)」
目下、そんな思い出話をストックする準備を進めている最中だという。目標は「計画的に老いていくこと」とズバリ答えてくれた。
「落語みたいに10〜20の持ちネタとして話せるようにしておきたい。久しぶりに会う友人ともテッパンの思い出話を2〜3個すると思いますが、妻との会話でも思い出話は人気コンテンツです。ただ、毎日顔を合わせるわけだから引き出しの数はソコソコ必要。これがあれば、80代になっても妻との生活は楽しいはずです」
コミュニケーションのプロだからこそ、成せる技なのかもしれない。
梶原しげる(かじわら・しげる)1950年、神奈川県生まれ。早稲田大学卒業後に文化放送に入社。92年にフリーとして独立。22年5月に「アルツハイマー型認知症」と診断を受ける。現在は「アルツハイマーの伝道師」として病に苦しむ人たちが元気で前向きに生きられるように活動中。