中川家・礼二が明かした「オネエの叔父さん」YES・NO枕話が面白すぎる

 過去最高となる5040組がトライし、ミルクボーイが劇的な優勝を遂げた「M-1グランプリ2019」。今回も、オール巨人、上沼恵美子、松本人志ら7人が審査員を務めた。

 中でも中川家・礼二は01年の初代M-1王者で、15年から5大会連続で審査員を務めている。テレビタレントとして大成した今なお、所属する吉本興業が管轄する東西の常設劇場のステージに立ち続けるバリバリの現役。大御所漫才師も一目置く西の筆頭漫才師だ。

 ものまねコントやフリートークが秀逸だが、じつは親族にネタになるような人物がたくさんいるという。

「お父さんの弟さん、つまり叔父さんがオネエだそうです。叔父さんは、かつて昼間はタクシードライバー、夜はゲイバー経営者でした。店名は、“木”を4つ書いて『ジャングル』。大阪市内にありました。67歳のときに74歳の彼氏がいて、お相手とは“同棲”していたそうです」(芸能ライター)

 その愛の巣に、中川家の2人が遊びに行ったことがあるという。寝室には、YES・NO枕が置かれていた。YES・NO枕とは、桂文枝が三枝だった時代の「新婚さんいらっしゃい!」(テレビ朝日系)に出演した新婚カップルにプレゼントされた番組ノベルティ。表面に「YES」、裏面に「NO」と書かれ、夜の営みの返事を枕でするというものだ。これをベッドに置いていた還暦超えの老カップル。2人が目にした日は、“NO”が表向きだったという。

「その後、パートナーは他界。70歳を過ぎた叔父さんは、寂しい老後を送っているそうです。芸人でゲイバーといえば、浅草キッドの玉袋筋太郎。彼の場合は、実のお父さんが新宿2丁目でゲイバーを経営していました。玉袋少年がそれを目の当たりにしたのは、中学2年生のとき。のぞいてしまった店内でお父さんは、セーラー服を着ていたそうです」(前出・芸能ライター)

 父はそのとき、「男の職場に子どもが来るんじゃない!」と一喝したという。当時は家族を養うための“営業ゲイ”だったというが、のちに浅草キッドの単独ライブを観に来た父は、寿司屋の大将と手をつないでいたという。

 2人のお笑いの瞬発力、地肩の強さは子どもの頃から養われていたのかもしれない。

(北村ともこ)

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