【Book】ホントーク〈ゲスト/ダースレイダー〉(1)東京大学中退後にラッパーの道へ

 医師から余命5年の宣告を受けたラッパーのダースレイダー氏が、壮絶な病気体験を綴ったのが本書「イル・コミュニケーション」だ。激動の半生を送るダースレイダー氏は、どのように病気と向き合ってきたのか。普段から交流のあるプチ鹿島氏がその胸の内に迫る─。

鹿島 ダースさんとは、時事ネタウォッチングのユーチューブ配信をやったり、映画「劇場版 センキョナンデス」の監督を共同でしている仲なんですけど、本当に多才な方で、今回はご自身の病気体験を基にした、すごく中身の濃い本を出版されましたね。

ダース ありがとうございます。病気に関しては紆余曲折ありました。

鹿島 どういうきっかけで書こうと思ったんですか?

ダース 医療関係者じゃない人が病気について語ってはどうですか、と出版社からの依頼があったからです。この本がシリーズ第1弾です。

鹿島 「イル・コミュニケーション」というタイトルは、ヒップホップに関係する言葉だそうですね。

ダース はい。もともとビースティ・ボーイズという有名なヒップホップグループのアルバムタイトルです。「イル」は英語で「病気、病人」の意味ですが、ヒップホップでは「グッド」「カッコいい」「ヤバい」の意味で使ったりします。

鹿島 あえて逆の意味の言葉を使うんですね。

ダース ラッパーを誉める時も「あいつイルだね」って言ったりします。「ヤバい会話」と「病気の会話」という両方の意味を込めて、僕の本のタイトルにふさわしいと思って決めました。

鹿島 すごくいいです。病気の会話なんだけれど、ヤバい会話にもなるし、病人との対話でもあるけれど、ラッパーのダースさんとの会話でもある。まずは、病気の話の前に、ご家族についてお聞きしたいです。お父様が「ニュースステーション」(テレビ朝日系)に出演されていた和田俊さんですよね?

ダース はい。父方の祖父、和田斉は週刊誌「朝日ジャーナル」の初代編集長でした。高知出身の母は東京藝術大学の油絵科卒、母方の祖父、大塚和は、東京日日新聞の記者から、吉永小百合さんが主演した「キューポラのある街」(62年)など、日活の映画プロデューサーになった人です。そして大叔父の大塚敬節は牧野富太郎の主治医でした。

鹿島 まさに華麗なる一族ですね。ダースさんも帰国子女で東京大学に入った秀才ですね。

ダース 父が朝日新聞ヨーロッパ支局長をやっていた時にパリで生まれて、6歳から10歳までロンドンで育ちました。帰国後、東大に入るという目標を立て、中学受験をして武蔵中学に進んだんです。その間に祖父母が亡くなり、母の首に悪性腫瘍が見つかって、闘病の末、僕が15歳の時に亡くなりました。

鹿島 思春期に身近な親族の死が相次いだんですね。

ダース 母の死後、一浪して東京大学に合格したんですけど、浪人中にラッパーになっちゃいました。

鹿島 出会っちゃったんですね、ヒップホップに。

ダース ええ。それで大学を中退しました。結局、東京大学に入るのが目標で、入ってからの目標がなかったんですね。

(つづく)

ゲスト(写真)/ダースレイダー:1977年、フランス・パリ生まれ。ロンドン育ち、東京大学中退。ミュージシャン、ラッパー。10年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明。以後、眼帯がトレードマークになる。バンド・ベーソンズのボーカル。オリジナル眼帯ブランドOGKを手がけ、自身のユーチューブチャンネルで宮台真司、神保哲生、プチ鹿島、町山智浩らを迎えたトーク番組を配信している。

聞き手/プチ・かしま:1970年、長野県生まれ。大阪芸術大学放送学科卒。「時事芸人」として各メデイアで活動中。新聞14紙を購読しての読み比べが趣味。19年に「ニュース時事能力検定」1級に合格。21年より「朝日新聞デジタル」コメントプラスのコメンテーターを務める。「芸人式新聞の読み方」など著書多数。

ライフ