坂本龍一「気配りの教授」秘話(2)インタビュー後に「戦メリ」のサプライズ

 坂本が初めて映画音楽を手がけたのは83年公開の「戦場のメリークリスマス」(大島渚プロ)。そもそも映画音楽は、完成一歩手前の「ラッシュ」という映像を見て、そこから音楽を乗せていく。

 同作に俳優としても参加していた坂本が、そのラッシュを見た際、映画「地球に落ちて来た男」(76年制作)や舞台「エレファントマン」で実績を積んだデヴィッド・ボウイと比較すると、自分が劣っていると感じたという。音楽ライターの神舘和典氏が懐かしく思い出す。

「同じ音楽家でありながら、デヴィッド・ボウイは俳優としてのキャリアもあり、差が出るのは当然ですが、坂本さんは彼の演技を見た時の心境を『腰を抜かしそうになった』と表現していました。しかし、『僕にはもうワンチャンス、音楽の仕事がある』と、自分の演技をカバーするように、ご自身の出演シーンにできるだけ音楽を乗せていったんです。逆にデヴィッド・ボウイが出ている場面にあまり音楽は流れていません。『映画を見てよ、見ればわかるよ』と、いたずらっぽくおっしゃっていたのを覚えています」

 その後、坂本は国内外の映画に携わり、87年公開の「ラストエンペラー」で日本人として初めてアカデミー作曲賞を受賞した。傍ら、〝世界のサカモト〟は日本のお笑い界も盛り上げた。

「人を笑わせるのが好きで、ダウンタウンの大ファン。番組のスタジオ観覧をきっかけに親交を深め、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)でアホアホマンというおバカなコントに参加したのは有名な話です。94年には2人をラップユニット『GEISHA GIRLS』として全米デビューさせました」(芸能評論家・三杉武氏)

 周囲への気遣いや思いやりを忘れなかった素顔を神舘氏が取材秘話を元に明かす。

「都内のホテルでインタビューを終えて、写真撮影という段取りになった際、そこにたまたまピアノが置いてあったんです。立ち会った編集者としては坂本さんをピアノの前で撮影したい。しかし、グランドピアノではなく、家庭にあるようなアップライトピアノ。『さすがにこれは失礼だから』と、止めようとしたのですが、坂本さんは『いいよ、いいよ』と気さくに応じてくれました。そればかりか、その場で『戦場のメリークリスマス』を弾いてくださって‥‥。とても贅沢な時間でした」

 坂本は環境問題についても積極的に発言し、音楽イベント「NO NUKES」で脱・原発を訴えた。明治神宮外苑の再開発を巡っては、小池百合子東京都知事らに、「樹々を犠牲にすべきでない」と見直しを求める手紙を送付していたことが明らかになっている。

「なぜ環境問題や平和問題に取り組んでいるのか」

 神舘氏が坂本に尋ねると、こんな答えが返ってきたという。

「子供たちが幸せに一生を終えるには、社会が平和でなくてはいけない。世の中が平和で、みんなが幸せでなければ、僕の子供たちの幸せはない。だから、環境や平和のために尽力することには、まったく迷いはありません」

 坂本の思いは名曲とともに後世へ受け継がれていく。

*週刊アサヒ芸能4月20日号掲載

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