歴史家の河合敦氏が絶対美女として筆頭に挙げるのが、美女の代名詞ともいえる小野小町だ。日本では、楊貴妃、クレオパトラと並ぶ、世界三大美人の1人として称えられてきた。小倉百人一首に収録される「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」(古今和歌集)の歌が名高い。
続いて2位に選んだのはお市の方。織田信長の妹で戦国時代随一の美女といわれ、浅井長政との間に生まれた、茶々、初、江(ごう)の美人3姉妹の母である。
だが、歴史好き芸人の桐畑トール氏は、
「秀吉はじめ織田家家臣団にとってトップアイドルだったお市の方を推したいのはやまやまですが、残念ながら後に描かれた肖像画しかありません。ならば、洋装の麗しい姿の写真が残る〝鹿鳴館の華〟と言われた陸奥宗光の後妻・陸奥亮子(むつりょうこ)を1位に挙げざるを得ません」
2位をお市の方として桐畑氏が3位に選んだのは、明智光秀の娘で細川忠興の妻となった細川ガラシャ。そしてお市の方の娘で豊臣秀吉の側室淀殿(茶々)を4位、5位には武田信玄の側室となった諏訪御寮人(すわごりょうにん)を挙げる。いずれも、その美貌を今に伝える証拠はないものの、
「細川ガラシャは、光秀の娘の明智玉(たま)ですが、旦那の細川忠興は、裏切り者の娘なのに離縁せず幽閉して残していたくらい惚れていたわけで、状況証拠から見て相当な美人だったと思われます。一説には、細川家の家臣や庭師などが玉の美しさに見とれていたというだけで、忠興はその連中を殺していますからね。諏訪御寮人も肖像画などは残っていませんが、武田家の歴史書『甲陽軍鑑』には〝かくれなきびじん〟と記されています。信玄の親父さんの時代に盟約関係にあった諏訪氏を信玄が攻めたのは、諏訪が欲しかったのか、それともお姫さまが欲しかったのか…(笑)。甲斐に輿入れした時、諏訪御寮人は14歳、淀殿も秀吉の側室になったのが15歳。令和の世なら一発アウト! 秀吉はすごい女好きで大勢の女性を抱えていたのに子供ができず、種なしの噂もあった中、淀殿だけが世継ぎの男子(秀頼)を産んでいます。本当の父親は他にいるのではという噂を大坂城の壁に落書きされたり、現代なら週刊誌ネタになるような話題の多い美女ですね」(桐畑氏)
河合氏が4位に挙げる末弘ヒロ子は、日本初のミスコン、時事新報社主催「日本美人写真募集」で1位に選ばれた小倉市長の娘で、地元では小倉小町とも呼ばれた美女。学習院女学部3年に在籍中、学習院当局から退学を言い渡されてしまうが、当時、院長を務めていた乃木希典(のぎまれすけ)は盟友であった陸軍大将、野津道貫(のづみちつら)の長男を紹介し、結婚させている。
戦後、各大学などでも盛んになったミスコンも、近年は女性の商品化などとかくの批判もあるが、ミスコンの優勝者は当初から女性の出世、成功への道でもあったことは確かなようだ。
文芸評論家の末國善己氏は、陸奥亮子と共に鹿鳴館の華と並び称せられた戸田極子(とだきわこ)を1位に挙げ、2位には河合氏が5位とした幕末のドイツ人医師シーボルトと長崎の遊女の間に生まれた楠本イネの娘・楠本高子(くすもとたかこ)を挙げる。
「戸田極子は岩倉具視の三女で、美濃国大垣藩知事・戸田氏共(とだうじたか)と結婚していましたが、初代総理大臣になった伊藤博文が首相官邸で開いた仮装舞踏会の時に関係を迫ったというスキャンダルの相手がこの美人です。楠本高子はシーボルトの孫娘で、クォーターということになりますが、写真を見れば一目瞭然、アイドル的で現代的な美女ですね。
3位の竹本綾之助(初代)は、女義太夫の名跡で、当時、その美貌と美声で東京帝大の学生たちに大人気。今でいう〝会いに行けるアイドル〟みたいになって、新聞などにいろいろな噂が掲載され、それに対して綾之助自身の反論が掲載されたり、写真が販売されるなど評判を集めた女性。4位の安達ツギは、1891年、浅草・凌雲閣で開催された花柳界の美女を集めた第1回『東京百美人』に出場して、入賞はしなかったものの、なぜか髷を結わずに撮影会場に行って『洗い髪のお妻』として注目を集めた女性です。その後、絵葉書が販売され、広告などにも採用されています」
ちなみに、安達ツギをひいきにしていたのは、政界の黒幕で右翼の大物・頭山満(とうやまみつる)をはじめ、伊藤博文、西郷従道(さいごうじゅうどう)や末弘ヒロ子の義父の野津道貫などがいたという。
次いで末國氏が5位に挙げる佐々木カネヨは、
「この方は別名をお葉(よう)さんといって、秋田県の貧しい家に生まれ、生活のために大正5年に上京して東京美術学校で絵画のモデルになった女性。最初に藤島武二のモデルを務め、同時期に女性を縄で縛ったりする伊藤晴雨(せいう)の責め絵のモデルにもなり、最も有名なのが竹久夢二との男女関係です。当時の絵描きにとってのミューズだった」
と推薦理由を説明する。
末國善己(すえくに・よしみ)68年、広島県生まれ。文芸評論家。時代小説、ミステリを中心に評論活動を行っている。著者に「時代小説で読む日本史」「夜の日本史」、編著に「商売繁盛」「いのち」などがある。
河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「徳川15代将軍 解体新書」(ポプラ新書)。
桐畑トール(きりはた・とーる)72年、滋賀県生まれ。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニット「ロクモンジャー」結成。映画評論サイト「BANGER!!!」で時代映画の評論を連載中。
*「週刊アサヒ芸能」5月19日号より
※画像は「楠本高子」