石井監督が楽天GM職に就いたのは18年9月。
「石井監督は私生活でも三木谷浩史オーナー(56)と食事する仲でしたが、当初は梨田昌孝監督(67)の後任を要請された。しかし、自分には監督は向かないと固辞し、GMならやってみたいということで就任が決まった経緯がある。現役時代から『野球選手だからといって、野球でメシを食いたいとは思ってない』など豪語していたが、実際、引退後には吉本興業の契約社員となるなど、マネジメントのほうに興味を持っていた。ドジャースなどメジャーでの経験で、GMの仕事はオーナーの目指す野球をすることだと学び、『楽天を常勝軍団にする』至上命令を受け、積極的にFAに介入し選手獲得に動きました」(スポーツ紙デスク)
この局面ではゆるゆるではなかったようで、球団関係者が石井GMの辣腕ぶりを打ち明ける。
「GM時代は仙台には来ないで東京から指示を与え、たまに球場に来てもラフな格好で目立っていた。先発の柱となる涌井に岸、リリーフの牧田和久(36)などの元西武勢は、選手時代にハワイ自主トレに引き連れていた子分たちです。生え抜きを阻害するかのような金満補強策で自分の身内を集めるやり方に、一部熱狂的なファンからは『楽天ライオンズ』と揶揄する声もあった」
打線の大黒柱・浅村栄斗(30)の引き抜きに関しても、同じ手法を取っている。
「浅村がFAで楽天入りした決め手も『石井シンパ』ということです。浅村は売り出し中の頃からアメ車を乗り回し、車検が切れるたびに乗り換えるほどのカーマニア。選手時代は外車に乗っていた石井監督は、車の話題で投手と野手の垣根を超える仲になり、税理士なども紹介する形で取り込んだといいます。今後、チーム内で監督への誤解が生まれても、この石井一派がフォローする役割を担うはずです」(球団関係者)
とはいえ、グラウンド外の見事な寝業師ぶりで、再び優勝を狙う戦力を作り上げたのは功績といえよう。
「今回の監督就任はまさに青天の霹靂だった。それでも、采配経験がないことは自分がいちばんわかっている。育成担当だった真喜志ヘッドを招集することで指導陣を整えたんです。ある意味、GMとして正しい補強を行ったとの評価もある」(スポーツ紙デスク)
かくして、これだけ集めれば「そんなもん、誰がやっても勝てるやないか」と草葉の陰からノムさんのボヤキが聞こえそうな布陣が出来上がった。
その野村監督のヤクルト時代、現役として共闘し、コーチとしても石井監督を指導した角盈男氏が大胆予想する。
「あんな風貌だが、GMとしてはトレードをバンバンやって、浅村やマー君もあっさり獲得してきた。不思議な魅力があるのでしょう。何より全権を持っているだけに、選手は監督、GM両方を見なくて済みます。そして年齢が近いので、兄貴分のような雰囲気となる。パ5球団は侮らないほうがいいでしょう。あのぬぼ〜っとした表情は内面が読めない。何を仕掛けてくるか誰にもわからないところに怖さがあります」
何食わぬ顔で、ソフトバンクの足をすくいそうなのだ。