元署長が明かす「世田谷一家殺害」20年目の真実と解決の切り札【全文掲載】

 ミレニアムの12月30日に発生した世田谷一家殺人事件から20年が経過しようとしている。数多くの物証と、あまりにも大胆な犯行後の行動から、事件の早期解決は必至と思われたが、衝撃的な未解決事件として、今も捜査は続いている。なぜ容疑者逮捕は難航しているのか。当時、陣頭指揮にあたった捜査幹部が核心部分を証言。事件解決のウルトラCについて、初めて語った。

「事件発生から20年がたとうとしているが、今でも必ず実行犯を検挙できると信じている」

 こう訴えるのは、日本中を震撼させた「世田谷一家殺害事件」で、捜査の指揮を執った土田猛元成城警察署長だ。

 正式名「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」は会社員・宮澤みきおさん(当時44歳)、妻・泰子さん(同41)、長女・にいなちゃん(同8)、長男・礼くん(同6)の一家4人が全員殺害されるという犯罪史上まれに見る残忍な事件である。しかも、犯人は殺害現場に、凶器の包丁、着用していたラグランシャツ、ヒップバッグのほか、スラセンジャー(靴)の痕跡など10点以上の遺留品を置き去りにしていった。

 捜査員にとっては「宝の山」とも言える数々の物証を残しながらも、発生から20年を迎える現在も、容疑者の検挙には至っていない迷宮入り事件なのだ。

 そればかりか、犯行現場への侵入経路でさえいまだ不明のままなのだという。

「現場への〝入り〟は玄関か窓の2カ所だけだが、玄関にはカギがかかっていた。また、犯人は室内に土足で上がっているが、スラセンジャーの痕跡は玄関ではなく、長男がいた2階の部屋で最も強く出ている。唯一開いていた2階の風呂場の狭い窓からは室内に入ることができた。が、実際に試してみると、衣服を全く窓枠にこすらずに入室することは不可能だった。にもかかわらず、窓サッシからはジャンパー、バッグなどの繊維痕は採集されなかった。玄関からの線が消えたため、消去法により窓からの侵入ということになっているのですが‥‥」(土田氏、以下同)

 その一方、4人惨殺の様子に関しては、おおむね判明しているという。

「最初に狙われたのは長男でした。犯人は柳刃包丁で犯行に及んでいるが、1階の階段下に倒れていたみきおさんの頭部には折れた包丁の先端が残っていた。一方、2階のベッドの上で扼殺された長男の衣服には血痕が残っていない。まず、長男、次にみきおさんとなり、最後にお母さんと長女が襲われたことになる。実際、母娘2人の切創は先端部分が折れた凶器による傷口で、2階のベッド付近には2度目の折れた包丁の破片が落ちていた。それでも、この2人をいたぶるように切り刻む残虐性については、どうやっても説明することができないのです」

 多数の遺留品、犯行の残忍性に加え、犯行後の異常な行動も、この事件の特異性を物語っている。

「殺害を行ったあとも、犯人は家の中に居座っていた。アイスクリームをスプーンなどを使わず、手でカップを握りしめるようにして2つも食べている。また、浴槽には被害者の書類をぶちまけている。状況的には何かを探していたようにもみえるが、あるいは、単に時間潰しをしていただけなのかもしれない」

 こうして犯行現場に10時間以上も居座り続けるふてぶてしい様子は、世を震え上がらせた。さらに当時、容疑者が宮澤さん宅にあったパソコンを操作していたことも報じられ、その異様ともいえる犯人像が浮かび上がったのである。

「犯人が夜中の1時過ぎにみきおさんのパソコンを使い、登録された勤務会社や劇団四季のホームページに接続したようだ。そして、翌朝10時頃にも再びパソコンが使われているため、犯人は翌朝までとどまっていたことになっている。ところが、みきおさんの使っていたマッキントッシュの場合、マウスが落下した衝撃だけで作動することがのちにわかったのです。第一発見者の泰子さんのお母さんが入室した際に、何かの拍子で落ち、パソコンが起動した可能性もあるのです。つまり、当初は10時に訪問したお母さんに気づいた犯人が慌てて逃げ出したという見立てでしたが、それよりも早い時間に出た可能性も出てきました」

 そして、数多くのナゾの中でも最大の疑問となっているのが、犯行の動機だ。4人家族はなぜ襲われねばならなかったのか。

「現場から十数万円がなくなったようだが、はたしてこの事件が金銭目的なのか怨恨なのか、異常人格者によるものなのか。犯行の目的の見極めがついていない。また、犯人は手袋を持っていながら、最初から素手で犯行に及んでいる。あらかじめ計画していたなら手袋をし、身軽な形で犯行に及ぶのが普通だ。さらに、凶器に握りやすいサバイバルナイフではなく柳刃包丁を選んだのも疑問です。柄が細く短いため、刺身などをさばくには適しているが、人を刺す凶器には不向きです。夜中に明かりがともっている家に侵入し、全員を殺害するにしては、計画性においても一貫性がないのです」

 おびただしい痕跡を残した犯人だが、さらに捜査本部を挑発するような「ブタ鼻」の刻印を現場に残していたのである。

 犯行現場に駆けつけた捜査員は、容疑者の指紋を多数発見。早期解決に結びつくのではないかと思われたが、事態は思わぬ方向に進んでしまう。

「決定的な指紋が出たのが、何よりも大きかった。しかも、犯人の指紋は真ん中が豚の鼻のように割れ、その周りを渦潮のようにぐるぐる巻いた〝渦状紋〟で、捜査員は〝ブタ鼻〟と呼んでいた」

 一見、犯人逮捕に直結する動かぬ物証だったが、反対に捜査本部はこの〝ブタ鼻〟に翻弄されることになる。

「とにかく集められる指紋をかき集めて、全て照合した。警察の指紋認証データベースはもちろん、それ以外にも、微罪処分の任意で取った指紋、さらには近隣の指紋があるホテルの宿舎名簿なども提供してもらった。もちろんICPO(国際刑事警察機構)を通じて加盟国にも照会を行った」

 照合した指紋は800万を超える膨大な数となった。昨年9月にも、航空会社からの乗客名簿の提供による「事前旅客情報システム」により、事件当時、現場近くの留学生寮に住んでいた韓国人が再来日するという情報で、指紋の照合が行われた。しかし、結果はいずれも不一致だった。

 では複数の目撃情報はどうだったのか。この間、捜査線上には数々の容疑者が浮上している。まずは、12月30日の事件当夜11時30分過ぎ、現場のほうから飛び出してきた男が女性ドライバーに目撃されている。

「被害者宅方面からいきなり飛び出してきたためライトアップしたが、全く振り向かないまま車の前を横切って走り去った。目撃した女性の証言では〝イッちゃってる様子〟だったという。殺害後に一度外に出た可能性もあるが、道路には血痕反応はなかった。となると見張りの男か、はたまた通りかかって異様な光景を目にし、ビックリして逃げ出した通行人だったのか‥‥」

 次に、事件発覚の夕方、東武日光駅で指にケガを負った男が、駅員から治療を受けている。

「この通報はすぐに捜査本部にあげられたのだが、駅員からの情報によれば『骨が見えるほどの深手』だったこともあり、その段階ではそれほどの大ケガをした人間が日光まで行くことはないということで、捜査が後回しになってしまった」

 JR吉祥寺駅北口のスーパーで凶器の「関孫六 銀寿」を買った男の姿は、防犯カメラに写っていた。だが、これも決定打にはならなかった。

「同型の柳刃包丁を野菜などと一緒に買った人物はいたが、この吉祥寺の男は包丁だけを購入しており、線が濃かった。似顔絵も作ったチラシで手配したがわからなかった」

 結果的に、指紋捜査にシフトするあまり、基本となる地取り捜査が手薄になったことは否めないのだが、

「20年を過ぎて、今なお犯人にたどりつく証拠は指紋とDNAの2つだけです。もちろん指紋の照合は継続されており、新たに変死体などから一致するものが出てくる可能性はあるものの、すでに指紋捜査はやり尽くされている。犯人を見極めるためには、DNAという究極の個人情報こそが最大の証拠となるんです。現在、DNA捜査は日進月歩の勢いで、血一滴から精巧な似顔絵モンタージュを作ることが可能になっている」

 この「DNAモンタージュ捜査」こそが、未解決事件に終止符を打つ最後の切り札だと、土田元署長は主張するのだ。

 DNA捜査は、世田谷一家殺害事件でも一部採用されている。残された容疑者の血液から「父方は中国、韓国、日本を含む東アジア系、母方はアドリア海周辺、南欧がルーツ」という分析結果が出ているのだ。

 今年12月には、14年前に10代少女に性的暴行をした32歳の男が小樽署に逮捕されているが、これもDNA捜査の成果だった。

「他にも、死刑判決から逆転無罪となった免田事件、渋谷の東電OL事件で使われています。これらは犯行現場に残された精液などから採取したDNAのわずか2%の情報で、遺伝子の型が合致するかどうかを判断する捜査方法です。一方で、DNAの残り98%の中にあごの大きさ、目の幅、鼻の高さなど細かい顔の作りの設計図の情報が入っていることがわかった。つまり、精巧な似顔絵まで作ることが可能なのです」

 そして、DNA捜査の結果から土田元署長は、ある容疑者像を主張している。

「このDNA情報に加え、犯行の形態からも、日本人として教育を受けた人物とは考えにくい」

 こうしたDNAモンタージュ捜査はすでに、アメリカの未解決事件などに用いられ、功を奏していた。

 ワシントン州では87年に若い男女2人が山中で殺害された。目撃情報がなく、すっかり忘れ去られていたのだが、現場に残された体液から得たDNA情報を民間の家系図サイトに送ったところ、血縁者が見つかり、そこから容疑者が浮上。31年を経ての逮捕につながっているのだ。他にも「ゴールデンステート・キラー」と呼ばれ、1970〜80年代に13人を殺害し、50人以上に性的暴行したシリアルキラーも、こうした家系図サイトによるDNA情報により割り出され、逮捕に至っている。

「移民など多民族国家のアメリカでは自分のルーツを知りたいという需要があり、DNAを用いた民間の家系図調査会社が発達している。ところが日本人は民族のルーツを調べる需要が少なく、法制化も進んでいない。現状、日本のDNA型捜査は国家公安委員会の通達、内部の規定で運用しているにすぎないのです」

 DNAからは民族性以外に、病気などの情報も含む究極の個人情報が得られるだけに、濫用を懸念する声があるのも事実だ。

「しかし、被害者と加害者の人権を比較すれば、殺害された被害者は名前も顔写真も公開され、個人情報は実質、ないに等しい。それに対し、生き残った加害者の権利ばかりが守られるのはあまりもアンバランスです。なにより、今、進めなければならないと考えるのは、この世田谷事件で、当時みきおさんのお母さんは実家から週に1回、子守のために世田谷まで通っている。今もし実行犯の似顔絵ができれば、例えば公園で子供たちと遊んでいた時に声をかけてきた男など、一発で判明するかもしれないのです」

 十年ひと昔、その倍ともなれば、もはや事件の風化は否定できない。それでも土田氏は最後に訴える。

「世田谷事件は日本の治安のバロメーターなんです。国民が震え上がるほどの恐怖を感じたのは、社会の中で最も安全なはずの家の中、そして最も安心できる家族と一緒の場所で、あの事件が起こったからなんです。警察は他のどんな殺人事件を解決しても『あの世田谷事件はどうなりましたか?』と問われると、返答のしようがない。DNAで似顔絵ができるのなら、逆転の一手となる。現場にDNAを残さずに犯行に及ぶことは不可能です。DNAモンタージュ捜査で世田谷のホシをあげることができれば、今後の凶悪犯罪の抑止にもなると信じている」

 みきおさんの残されたお母さんは今、89歳。待ったなしなのである。

※「週刊アサヒ芸能」12月31日・1月7日号より

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