「愛の不時着」は無理筋!? 北朝鮮に抑留された記者が明かす地獄の監禁生活

「もしも韓国人女性が国境を越えて北朝鮮に不時着してしまったら? それはもうタダでは済まないでしょうね。北朝鮮は外部に情報を持ち出すことを絶対に許しません。徹底的に尋問を受けて、持っている情報をすべて吐き出させるでしょう。強制収容所とまではいかなくても、教化所のような場所で、それこそ私のように長い年月をかけて尋問されるのではないでしょうか。当然、帰国させるにあたっても、『わざと不時着したんだろ。我が国の領土を侵犯したのだから、ただでは帰さない』と、それなりの見返りを要求するはず。それが北朝鮮という国です」

 こう話すのは元日本経済新聞社の記者で、北朝鮮に5回の訪問歴があるジャーナリストの杉嶋岑(すぎしまたかし)氏。1999年12月、5回目の訪朝において、杉嶋氏は帰国直前に平壌で身柄を拘束され、「スパイ容疑」によって2年2カ月にわたる抑留生活を余儀なくされた。その体験は著書「北朝鮮抑留記 わが闘争二年二カ月」(草思社)にまとめているが、話題のネットドラマ「愛の不時着」で描かれた北朝鮮と、実際に日本人記者が見た北朝鮮とではどんな違いがあるのか。改めてその壮絶すぎる体験を聞いた。

「そもそも私が北朝鮮に足を運んだのは、社会主義国への興味から。彼らがどんな生活を送っているのか、自分の目と耳で確認したかったから。しかし、北朝鮮への訪問も5回目とあって、どこかに隙があったのかもしれない。とくに注意を受けない限り、写真を撮ったりビデオをまわしたりしていましたから。最初に連行されたのは平壌ホテルで、まず調査官に言われたのは『あなたの行動には不審な点があります。それが拘束した理由です』ということ。いずれにしてもただでは帰れないと思いました。まず頭をよぎったのは、公開処刑の銃殺。病死に見せかけた薬物死。それとも肉体的な拷問による死か…。そんな不安に駆られて拘束初日の夜に自死を図ったのですが、あいにく洗面台のたてつけが悪く、未遂に終わったのです」(杉嶋氏、以下同)

 監禁生活のスケジュールは朝6時30分に起床、夜10時の就寝まで、食事休憩をはさんで9時間の取り調べが行われたという。そして「愛の不時着」でもおなじみの“光景”を目の当たりにすることとなる。

「食事はきちんと3食出してくれましたし、洗濯物もホテルのクリーニングに出すだけでした。しかし、都市部であっても、毎日のように停電があったのは事実です。バスタブにお湯をはる習慣はないようで、蛇口をひねっても、水がチョロチョロ出るだけ。夏場には給水車が街をまわって30リットル入りのタンクを各家庭に届けていました。今でも強烈に覚えているのは、拘束されて10日目くらいで、“拷問ビデオ”を見せられたこと。その時は背筋が凍る思いでした。もっとも、その映像は、南(韓国)の映画を無断で編集し直したもののようでした」

 いつ帰国できるか、出口がまったく見えないなかで、地獄の監禁生活を送っていた杉嶋氏。政府や外務省が水面下で働きかけたこともあって、「国外追放処分」という形でついに日本へ帰国することとなった。2002年2月のことだ。

「北朝鮮にいる間、私は5回ほど“宿舎”を移動させられました。最後に抑留生活を送ったのは、羊角島国際ホテルの最上階にあたる43階の部屋でした。この北朝鮮が誇る超高級ホテルでさえ、部屋にはコンセントがひとつもありませんでした」

 前出の「愛の不時着」では、華やかな富裕層の暮らしぶりが描かれていたが、高級ホテルにコンセントひとつないとは驚きだ。北朝鮮の対韓国宣伝サイトが同ドラマを「虚偽と捏造に満ちた虚しく不順極まりない反・共和国ドラマ」と酷評したが、たしかに、良くも悪くも現実離れした描写はあったのかもしれない。

「北朝鮮に監禁されていて、身をもって感じたのは、告げ口や密告によって他人を蹴落とすような監視社会であること。私自身、散髪をしたあと、体調をチェックするために、ポケットに髪の毛をしまっただけで密告されましたから。人民をコントロールしているのは恐怖以外の何物でもなく、側近たちは運命共同体であると同時にさまざまな利権を共有していることから、北朝鮮という国は、そうすぐには変わるとは思えませんね」

 南北の緊張が高まるなか、間違っても独裁国家に「不時着」したがるようなファンが出てこないことを祈るばかりだ。

(編集部)

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