【Book】ホントーク〈ゲスト/ダースレイダー〉(2)入院中の壮絶な体験とは?

鹿島 お母様が亡くなられたあと、お父様が病気になってしまったそうですが。

ダース 海外取材に行く前に大事を取って検査を受けたらノドに腫瘍が見つかったんです。しゃべる仕事をしているので、ノドを痛めない治療をしてくれる北海道の病院に入院したんですけど、そこでどんどん体調が悪くなりました。

鹿島 それまでは、普通の生活をしてらしたそうですね。

ダース そうなんです。この時、病院への不信感を強く持ちました。でも、ノドにタンを吸い出す穴を開ける手術をしたら、声が出なくなって、そのまま退院することなく、僕が24歳の時、66歳で亡くなりました。

鹿島 それ以降、一切病院にかからなくて、33歳の時、脳梗塞の発作を起こしてしまった。

ダース ライブの直前に倒れて、知り合いの車ですぐに救急病院に運ばれました。「30分遅かったら障害のレベルが全然違った」と医者から言われました。

鹿島 でも、それまで健康診断とか受けていなかったから、何のデータもなくて、原因がわからなかったとか。

ダース なのでまず、脳神経外科で治療を受けました。ただ、血糖値も高いから、糖尿病内科の先生たちは、糖尿病が原因じゃないかと言ったり。いまだに何で脳梗塞になったか、わからないんです。定期的に健診を受けて、継続してデータを取ることがすごく大事だと身をもって知りました。

鹿島 入院中の壮絶な体験も詳しく書かれています。

ダース 両耳の後ろにある三半規管にダメージが出ました。でも3週間経ったら、パッと快晴の海に出たみたいに治まったんです。

鹿島 人間の体って、本当にすごいですね。でもその入院中に目に支障が出てしまう。

ダース 視界が戻らなくて眼科で診てもらったら、糖尿病の合併症と診断されました。

鹿島 失明の危険もあったんですよね。

ダース レーザーを当てて新生血管を焼いたんですけど、左目にダメージが出て、どこを見ても白いものが視界の真ん中にある。左目を物理的に隠さないと全体の視界が悪くなるので、眼帯をすることにしたんです。でも、医療用かコスプレ用の眼帯しかなくて、友達がオリジナルの眼帯を作ってくれました。

鹿島 とてもオシャレな眼帯だと思います。

(つづく)

ゲスト/ダースレイダー:1977年、フランス・パリ生まれ。ロンドン育ち、東京大学中退。ミュージシャン、ラッパー。10年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明。以後、眼帯がトレードマークになる。バンド・ベーソンズのボーカル。オリジナル眼帯ブランドOGKを手がけ、自身のユーチューブチャンネルで宮台真司、神保哲生、プチ鹿島、町山智浩らを迎えたトーク番組を配信している。

聞き手(写真)/プチ・かしま:1970年、長野県生まれ。大阪芸術大学放送学科卒。「時事芸人」として各メデイアで活動中。新聞14紙を購読しての読み比べが趣味。19年に「ニュース時事能力検定」1級に合格。21年より「朝日新聞デジタル」コメントプラスのコメンテーターを務める。「芸人式新聞の読み方」など著書多数。

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