マルチ商法にハマるのはごく普通の人たち。小説『マルチの子』を上梓した西尾潤さんも「普通」の若者だった――。実体験で感じた「ハマりやすい人」の3つの特徴とは?
夢はプロのミュージシャンになることだった。
ロック好きが高じて軽音部に所属し、バンド活動に明け暮れた高校時代。卒業後に就職したデザイン事務所も1年で辞めてしまい、夢を追いかけた。だが実力が伴っていなかった。小さなライブハウスに出演するのがやっとで、デビューなど果てしなく遠い。夢の途方もなさに気づき始めた19歳の頃、私はバイト先の先輩からマルチ商法に誘われた。
「めっちゃすごいビジネスの話、教えたるわ」
先輩は目を輝かせながら、私に語った。とある商品を紹介し、買ってもらえたら紹介料をもらえること。月収100万円以上の人がざらにいること。20歳以上であることがビジネスを始める条件なこと。世間知らずで考えが甘かった私は、その話に大いに惹かれた。
「やってみたいです」
気づけばそう言っていた。このままバンドを続けていても未来はない。そんな私に、先輩の語る景気のいい話は甘く響いた。
「さすが西尾ちゃん。そう言うと思ったわ。これはチャンスやで」
2ヶ月後。
20歳の誕生日の翌日、私はそのビジネスに入会した。
2年半後。
私は700万円の借金を抱えることになる。
■マルチ商法にハマる人の3つの特徴
マルチ商法にハマりやすいのはどんな人なのか。自分の体験や周囲の傾向から考えると、3つの特徴があると思う。
1つ目は、「自分に満足できていない人」。
今の仕事は自分のやりたいことじゃない。今の職場では自分の実力は発揮できない。今の月給は自分の能力に見合っていない。今の自分は本当の自分じゃない。
そんな思いを抱いたことが誰しもあると思う。理想の自分と現実の自分との乖離に悩んでいる時、マルチ商法の誘いはことさら魅力的に響く。
ミュージシャンになれそうもない自分と向き合わざるを得なかった私にとって、先輩の誘いは渡りに船だった。このままでは何者にもなれないかもしれない。そんな焦りが払拭され、突如可能性が開かれたのだ。私も何者かになれるかもしれない、と。
「チャンスの神様には前髪はあるけど、後ろ髪はないんやて。せやから、出会った時に正面からがっつり掴まなあかん。見逃さんかった西尾ちゃんは、さすがや」
結局多額の借金を抱えることになるのだから、チャンスの神様の前髪を掴むどころか、マルチの神様にがっつり前髪を掴まれたわけだが……。
ちなみに先輩が語った「チャンスの神様」の話は、その後色々なところで色々な人が話しているのを聞いた。誘いの常套句なのだろう。
2つ目は、「勉強熱心な人」。
楽して稼げるというイメージが強いマルチ商法だが、実際は違う。商品知識、会話術、交渉術などなど、学ぶべきことが山のようにあった。
ある日の私のスケジュールはこんな感じだ。
10時 商品の勉強会に参加
12時 アップライン(自分の上の人)とランチミーティング
13時 新規アポイントをもらった顧客にスポンサリング(勧誘)
16時 ダウンライン(傘下メンバー)と教育講習会に参加
19時 新規顧客へのスポンサリングセミナーに登壇
21時 新規メンバーを集めたスタートアップセミナーに登壇
22時 アップライン(自分の上の人)とミーティング
朝から晩まで、息をつく暇もない。学生時代よりもよほど勉強していたと思う。しかし、私は楽しかった。どんどん知識がたくわえられていく喜び。得た知識をスポンサリングやセミナーで活かせた時の快感。これらが忘れられず、私は勉強にのめり込んでいった。
傘下に他組織からやってきたリーダー格の若者が入会したことも相まって、私はぐんぐん組織を伸ばした。始めて1年半ほどでメンバーは800人を超え、最年少で高ランクに昇格。月収は7桁に達した。
(著者プロフィール)
大阪府出身。ヘアメイク、スタイリスト。2018年「愚か者の身分」で第二回大藪春彦新人賞を受賞。受賞作を含む『愚か者の身分』でデビュー。20歳でマルチ商法の世界に入り、最年少で高ランク保持者に。月収150万円を超えるが、結果700万円の借金を抱える生活に転落。その後、マルチ商法を離れて美容の世界へ入り、ヘアメイク、及び映画やドラマの衣装担当として数々の有名人と仕事を共にする。当時の体験が『マルチの子』の元ネタとなった。
*写真はイメージです