名球会コンペで勃発!王貞治理事長の「場所」を横取り/プロ野球「伝説投手」の老境(2)

 ただし、問題は私生活だけではなかった。頑迷な性格と相まって、最近ではプロ野球界との関係も冷え冷えだったというのである。ロッテ入団時から知る、ベテランスポーツライターが耳打ちする。

「古巣のロッテから煙たがられている。右ひじを手術して奇跡の復活を遂げた年のオフ、給料を巡って球団と大モメしたんです。球団にジョーブ博士の手術代や渡航費を全面バックアップしてもらう恩を受けたにもかかわらずですよ。広島から上京してきた頃は朴訥な青年だったのに、野球の実力と比例してワガママになった。そんな唯我独尊な態度も球団を困らせていた。その結果、ロッテの監督はおろかコーチのオファーすらない有様だった」

 そんな村田氏に声をかけたのが〝世界の王〟だった。

「ダイエー監督時代の王貞治氏(82)のラブコールを受けて、95年.97年に同球団の1軍投手コーチを務めました。しかし、王さんとの相性は最悪。投手起用を巡って意見対立が絶えなかったそうです。97年に心筋梗塞で入院したのも、そのストレスが原因だと言われています」(球界関係者)

 2人の因縁はその後も続く。そして、ついに10年に開催されたゴルフコンペで〝事件〟は勃発したのだ。

「前年に、王さんが名球会の理事長に就任した記念コンペでした。そこで、巨大色紙に名球会会員のサインを入れて会場のゴルフ場に寄贈することになったんです。皆が空気を読んで、新理事長のためにド真ん中の位置を空白にしていました。すると、順番が回ってきた村田さんが『お! ここ空いとるやんけ』とつぶやきながらサインを書いてしまったんです。結局、王さんのサインは隅に追いやられてしまい‥‥。他意のない天然行動だと思いますが、王さんは面白くなかったでしょう」(球界関係者)

 対して、前任の理事長とは昵懇の間柄だった。

「金田正一さんとは仲が良かった。名球会の仕事で滞在するホテルのロビーで談笑している2人をよく見かけました。指に一升瓶を挟むトレーニングが有名な村田さんですが、実はお酒を一切飲めない。その地方の地酒と名産品を求めて夜の街に繰り出す他の会員をよそに、ずっとロビーでお茶も飲まず喋っていた。2人の前を通ると変に絡まれるから、わざわざ抜け道を探して外出する会員もいたほど。その金田さんが09年に名球会を追われると、村田さんは名球会に在籍しながら、金田さんに協力するようになりました。球界OBたちとも自然に距離ができ始めてしまった」(球界関係者)

 孤高の存在となった果ての逮捕劇とは悲しすぎる。

*週刊アサヒ芸能10月13日号掲載

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