斉藤慶子は三十路になって「魔性の女」開花!/「丑年女優」ベッド場面大全(終)

 年内に「還暦」を迎えるのが1961年生まれ。ただし、発散するフェロモンは昔も今も過剰気味だ。それは古希を超えた1949年生まれも同様である。

 バブル期にはトレンディー女優として一世を風靡した浅野温子。実はデビュー間もない頃から多くのベッドシーンをこなしている。

 撮影当時、まだ15歳だった映画「聖母観音大菩薩」(77年、ATG)では、下腹部にボカシが入るフル脱ぎを披露。さらに映画「高校大パニック」(78年、日活)でも、セーラー服からバストがはだける女子高生を演じている。

 その後も「スローなブギにしてくれ」(81年、東映)で、山崎努を相手に情交シーンを見せているが、ベッドシーンに明るい映画ライターの松井修氏が「これぞ決定版!」の一本を推す。

「五社英雄監督の『薄化粧』(85年、松竹)ですね。同じ五社監督の『陽暉楼』(83年、東映)でも女郎役を熱演していますが、こちらの作品では緒形拳からバックで犯される場面があります」

 松井氏によれば、同作品での浅野はフル脱ぎではないが、胸を揉まれ、汗がしたたる熱演で、性的興奮度は「高い」という。

 昨年は宮崎美子が40年ぶりのセパレート水着姿を披露して大きな話題になったが、同じ熊本大学在学中にデビューしたのが斉藤慶子だ。キャンギャルとして華々しくデビューすると、DJや女優としても頭角を現す。

「初主演映画『さわこの恋 上手な嘘の恋愛講座』(90年、松竹)で初脱ぎも見せていますが、むしろ三十路になってから本領を発揮しています」(前出・松井氏)

 もともと斉藤は「魔性の女」と呼ばれ、巨人・江川卓ら多くの有名人との仲がささやかれた。それを養分として挑んだのが映画「東雲楼 女の乱」(94年、東映)だ。

「舞台が熊本の大遊郭で、まるで熊大出身の斉藤のためにあるような設定。30代前半の女盛りであり、今見てもいちばんいい時期だったと思う」と話す松井氏によれば、それまでのアイドル女優のイメージを打ち破り、恋人役の風間トオルとの逢引シーンでは、男の下腹部を愛撫してそこを“興奮状態”にするという「驚きのシーン」もあったという。先輩の宮崎美子ほど豊かではないが、形のいいバストをスクリーンに叩きつけていたのだ。

 意外なところでは、80年代前半に「漫才界のピンク・レディー」と呼ばれた春やすこの名前も。当時の社会現象であった、“不貞相手を紹介するバンク”を描いた映画「夕ぐれ族」(84年、日活)で、堂々の主演を飾っている。

 昨年、春は週刊アサヒ芸能のインタビューで、この作品の前に篠山紀信氏に、相方・けいことともに脱いだ姿の写真を撮ってもらったことを振り返り、「脱ぐんやったら、若いキレイな体のうちがええやないですか」と、続けたのだった。

 今なお実力派の女優で活躍する高橋ひとみも、若手時代はドラマ「ふぞろいの林檎たち」(83年、TBS系)や、映画「ジェラシー・ゲーム」(82年、日活)で脱ぎ姿を披露している。前出の松井氏によれば、寺山修司監督の「さらば箱舟」(84年、ATG)でも、幻想的な脱ぎ姿を見せているとのこと。「主役を張るタイプではない」が、「長身でスレンダー」な脱いだ姿には「脇役でも強い印象を残しました」という。

 高橋は五十路を過ぎての結婚だったが、17年のバラエティー番組で衝撃の発言をしている。

「13年に結婚したんですけど、向こうが50歳になったばかりで私が52。50代同士でもすごいですよ、新婚だから。マンションの下の階からクレームが来た(笑)」

 それほど「営み」が激しかったというわけである。 さて、戦後間もない49年生まれの女優で目を引くのは、小松みどりが日活ロマン映画に主演した「小松みどりの好きぼくろ」(85年、日活)だろう。松井氏によれば、姉の五月みどりと同様、熟した女性特有の妖艶さを前面に出した映画だという。「ただ、欲を言えば、もっと若い頃から脱いでいただきたかったと思います」(前出・松井氏)

 同じ世代では、70年代のスポ根ドラマで活躍した新藤恵美もロマン映画「ルージュ」(84年、日活)で脱いでいる。石井隆原作の劇画を映画化し、冒頭から3人の男に性的暴行をされ、その一部始終をビデオに収められるという悲劇の役どころ。

 この時点で20年近いキャリアを持つだけに、犯されながらも濃厚な妖気を放つ演技は圧巻であった─。

エンタメ