三四郎といえば、今やバラエティ番組に引っ張りダコのコンビ芸人。滑舌に難がある小宮浩信はドッキリ企画に欠かせず、需要が高まっている。相田周二と見せる漫才は、意外にもハイクオリティー。数少ない漫才特番から今なおオファーがあるのは、テレビタレントとして大成しても舞台に立ちつづけ、新ネタ作りも欠かさないからだ。
2人は東京都出身の同級生。都内でもセレブで名高い成城学園中学校に通っていた。成城学園高校に進学すると、同じグランドホッケー部に所属。小宮が高校2年生のときに留年したため、相田の後輩になってしまったが、交流は続いた。このグランドホッケー部には、後に有名になる映画監督も籍を置いていた。
「その人は、映画『東京喰種 トーキョーグール』の萩原健太郎監督です。大人気漫画の初実写化は、17年に窪田正孝主演で公開。萩原さんにとって、長編デビュー作でした。グランドホッケー部時代は、流行っていた金髪にツイストパーマをかけたド派手な風貌で、目立っていたそう。大きめの服をユルく着こなし、首には金のネックレス。地味な小宮&相田と真逆で、プレー中も腰パンスタイルを崩さなかったそうです」(芸能関係者)
風貌はチャラ男そのもの。このころから「アメリカで映画を撮りたい」と口にしていたという。小宮と相田がそれを耳にした翌月、萩原氏は本当に学校を退学して、映画の専門学校に編入。20歳で渡米した。語学学校に通ったあと、米国ロサンゼルスの名門「Art Center College of Design」映画学部に入学・卒業。帰国後は、映像監督、CMディレクター、ミュージックビデオ監督として、数多くの企業と手を組んだ。
「小宮には、萩原さんに裏切られたトラウマがあるそうです。高校時代、『あの子のことが好きなんだけど』と明かすと、萩原さんは『えー、そうかぁ?』とそっけない返事。ところが萩原さんは硬派を気取っていたにもかかわらず、そのわずか1カ月後にその女子と交際していたそうです」(前出・芸能関係者)
「東京喰種」は世界20カ国以上で上映され、日本が誇る最高のエンターテインメントとして知れわたった。萩原監督は2年前、けやき坂46のMV「それでも歩いてる」でもメガホンを取っている。そんなトップクリエイターに奪われたなら、小宮もあきらめがついたか?
(北村ともこ)