72年、アメリカ領グアム島で横井庄一伍長が発見され、その2年後にはフィリピン・ルバング島で小野田寛郎少尉も発見されるという仰天ニュースを亀和田氏が回想する。
「南洋に浮かぶ島の密林の中から30年前の戦争の亡霊が突然、蘇ってきた。『戦争を知らない子供たち』(70年)なんていう歌が数年前に流行ってたわけでね。2人のキャラがあまりに違いすぎて際立っていた『恥ずかしながら帰って参りました』の横井さんは茫洋とした人で、小野田さんはさすがは将校だけあって毅然としてる、みたいな言われ方でよく比較されてました」
さらに昭和の“平家落武者伝説”に想いを馳せる。
「日本は勝ち目のない戦争にもかかわらず戦線を拡大しアジアの隅々にまで派兵した。インドネシアやビルマやシベリアなどに日本兵がひょっとすると何十人、何百人いるらしいという話はあった。『ビルマの竪琴』の『水島、一緒に日本に帰ろうよ』のセリフよろしくあえて帰らなかったのか、帰れなかったのか右翼は右翼、左翼は左翼なりに自分の夢とか思い込みで戦争はよかった・悪かったとかいう話をしたがるんだけど、そういうことを超えての驚き。あの人たちの中ではまだ戦争は終わってなかったんですよね」(亀和田氏)
サラ金の暴力的な取り立てが社会問題になった80年代。消費者金融経営者で杉山グループ代表の杉山治夫会長とレポーターのミッキー安川がワイドショーで火花を散らし話題になった。
トークショーを生観戦したマグナム氏が述懐する。
「ブランド物の時計や指輪を身につけてる会長は、例によって時計は300万円、指輪は500万円とかブランド物を自慢。『借りたもんは返すのが当たり前』と強弁したりして最後に質問タイム。『その時計も指輪もみんな人の命なんじゃないですか! そんなものを見せびらかして面白いですか!』とミッキー安川が迫れば、会長はブチ切れて『キレイごと言ってるんじゃねえよ、これが欲しいのか!』とアタッシュケースに入った札束をばらまいたんよ。するとおとなしく見ていた観客が『ゼニやー』と我先に万札を拾いに行った。あちこちで観客同士のドツキ合いの阿鼻叫喚の地獄絵図や。『どうだ!しょせん世の中、ゼニなんだよ、ゼニ!』と叫んで会長は去っていった」(マグナム氏)
昭和の札束ばらまきオジサンはえぐかった!
(つづく)