エルサレムだけじゃない! 青森県の秘境村にも聖地があった

 無差別襲撃を行ったイスラム原理主義組織ハマスへの報復として彼らが実効支配するパレスチナ・ガザ地区に対し、激しい攻撃を続けているイスラエル。首都エルサレムはユダヤ教とキリスト教、そしてイスラム教の3大宗教の聖地として知られているが、青森県の山深い秘境村にも人々から〝聖地〟と呼ばれている場所があることをご存知だろうか?

 それは十和田湖から国道454号線を八戸方面に30キロほど進んだ場所に位置する、その名も「キリストの墓」(青森県新郷村)。地元の観光名所にもなっており、十字架のついた直径2メートルほどの墓が2つある。1つはイエス・キリスト、もう1つはその弟イスキリのものだと伝えられているとか。

 そもそもキリストは西暦30年(※33年との説もあり)、ローマ帝国によってエルサレムのゴルゴダの丘で十字架に磔にされて天に召されたのは有名な話。では、なぜイスラエルから9000キロ以上も離れた新郷村に墓があるのか?

「『竹内文書』という古文書によると、弟イスキリが身代わりに処刑され、密かにエルサレムを脱出したキリストが長い逃避行の末に辿り着いたのが新郷村のある地域だったそうです。とはいえ、竹内文書自体は偽書の可能性が高いと言われており、キリストの墓についても専門家からスルーされています」(サブカル系ライター)

 しかし一方で、墓がある地域は古くから「戸来(へらい)」とベブライに似た地名で、さらにダビデの星にそっくりな家紋の家があり、日本語としては意味不明でヘブライ語由来説の囃子歌「ナニャドヤラ」など不思議な共通点も多く見られるそうだ。

「中でも気になるのは、04年にエルサレム市から寄贈された友好の石碑が現地にあることです。当時の駐日イスラエル大使だったエリ・コーヘン氏が同地を訪れ、コーヘン氏の名前も協力者として石碑に刻まれています。また、旧約聖書に登場し、その後の行方がわかっていない〝失われた10支族〟の一部が日本に移り住んだという説もあり、これに関しては未だに議論が続いています」(同)

 単なるトンデモスポットと思いきや関連性を匂わせる共通点がいくつもあるキリストの墓。真偽のほどは別として、歴史ロマンを感じさせる場所であることは確かだ。

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