「80歳の壁」を越えるナツメロ健康長寿法(2)自分史を回想するスイッチが入り…

 昭和歌謡のヒット曲は「流行歌」と呼ばれていた。「歌は世につれ、世は歌につれ」というヒット曲の格言がある。5000曲も作詞して昭和歌謡の怪物だった阿久悠は「時代へ向けて歌を作ってきた」と述懐していた。ナツメロには戦後昭和という時代が映し出されているのだ。

「憧れのハワイ航路」には、戦後の復興に立ち上がった大衆の夢と希望の時代が。

「アカシアの雨がやむとき」には、体制変革に挑んだ若者の挫折の時代が。

「いつでも夢を」には、少女の清純なイメージに理想の未来像を重ねた時代が。

「網走番外地」には、反体制に燃えてドロップアウトする生き様美学の時代が。

「ジョニィへの伝言」には、男社会に抗して自立を宣言する女性の時代が。

 このように、ナツメロの曲目によって、それがヒットした時代の世相、大衆心理というものがあぶり出されるものだ。だから、ナツメロを歌えば、その歌がきっかけとなり、誘導されて、脳裏には自分が生きてきた時代の自分史の場面が思い出されてくるだろう。この脳の働きを、私は「回想力」と名づけている。

 医学的にも、認知症の治療法として「回想法」という手法が使われている。この回想法はアメリカで開発された心理療法で、認知症患者に回想を働きかける道具として、昔の生活を写した写真が使われている。しかし、私は写真よりも日本の昭和世代高齢者にはナツメロのほうが効果的だと思い、「ナツメロ青春回想法」を発案したのだ。

 実際に、ナツメロによる「回想力」には効果がある――私は症例と言ってもいいだろう実証的ケースを、うたともクラブの現場で色々と見てきた。

 一例を挙げよう。「キンちゃん」と私が親しげに呼んでいる男性の場合――。

 彼はどうにか80歳の壁を越えることができた。が、「どうにか」というのは、彼がうたともクラブへ入って来たのは10年前で、その時彼は脳梗塞でリハビリ中の身体だった。彼は気が進まなかったようで、妻に無理矢理連れられて、お地蔵様みたいにムッツリ、無表情で、一曲も歌おうとしなかった。妻は「認知症なの」と言った。脳梗塞から認知症へ進むという典型例だった。

 何回まで持つか――と、私は疑問だった。が、妻は何を信じてか、休まずに夫を引っ張ってきた。3カ月ぐらいたち、私は休憩で連れションした彼に声をかけた。「キンちゃん、調子はどう?」あえて彼の名前を愛称で呼んだ。すると彼はニッコリと笑ってうなずいた。初めて見る彼の笑顔を私も笑顔で受けとめた。次の回、妻が「あの日の晩、夫が喜んでね」と報告。「おれ、キンちゃんと呼ばれて、うれしかったよって、言ってね」。それからというもの、キンちゃんは妻を従え、「おはよう」と声を上げて会場入りするようになった。

 八月の真夏、甲子園大会のテーマ「栄冠は君に輝く」を歌った。いつもよりも声高らかだと思ったら、キンちゃんも歌っているではないか。晴れ晴れとした笑顔で。「彼、高校生の時は野球部で甲子園をめざしていたのよ」と、妻が若い頃のキンちゃんの思い出を話してくれた。明らかに彼は「栄冠は君に輝く」で高校時代を思い出し、それをきっかけにして、ナツメロで人生を回想する脳の働きにスイッチが入ったのだ。

 以来十年、キンちゃんは「おはよう」と皆勤の参加。彼の認知症の症状は止まっている。いや、改善していると言ってもいいだろう。

(つづく)

徳丸壮也(とくまるそうや)・昭和文化研究家 ジャーナリストとしてスポーツ、ビジネス、トレンドと幅広く執筆し、著書30冊。かたわら住む千葉市で高齢社会まちづくり市民新聞を発行したことから高齢者が歌の力で活性化を図るNPO法人うたともクラブを設立、会員数3000人を組織。認知症予防「ナツメロ青春回想法」を発案、指導リーダーの歌声福祉士を養成。ナツメロ昭和歌謡を研究し、歌の力の健康長寿効能を実証的に提唱。

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