今、全国各地で夏の甲子園大会の予選が繰り広げられている。大谷翔平のような超高校級選手が現れると、メジャースカウトは地方大会まで足を運び、熱視線を送っている。
2012年夏、高校3年生だった大谷を熱心に追い掛けるMLB関係者のなかには、相思相愛といわれたドジャースのスカウトマンもいた。しかしその5年後、ポスティングシステムでメジャー挑戦が決まった17年オフ、大谷が選んだのはドジャースではなく、エンゼルスだった。
「当時、エンゼルスのゼネラルマネージャー(以下=GM)を務めていたビリー・エプラー氏の手腕によるものでした」(米国人ライター)
現在、エプラー氏はメッツのGM職に就いている。
大谷と代理人のネズ・バレロ氏を口説き落とした勝因は、ヤンキースでGM補佐を務めていたころの経験だという。04年から約10年、裏方をしてチームを支えてきた。
松井秀喜と親交を深め、井川慶、五十嵐亮太、黒田博樹の3投手の獲得交渉にも関わってきた。そこで彼が学んだのは「日本人は決断に時間はかかるが信念が強い」だった。
大谷は投打の二刀流を米球界でも貫くつもりだった。エプラー氏はその二刀流に理解を示した。
「二刀流と聞いて、関係者やファンは非現実的だと当時は思っていました。MLB球団は主に先発投手は5人で、中4日のローテーションでまわしていきます。投手・大谷が打者出場をしながら、ローテーションを守るなんてことができるのか、疑問でした」(前出・同)
他球団も二刀流を容認するつもりでいたが、そのサポート体制について、もっとも具体的で親身な提案をしたのが、エプラー氏だったそうだ。
そのエプラー氏の存在を理由に、「大谷の移籍先としてメッツも」の声も聞かれる。だが、投打両方で結果を残した今、どの米球団も二刀流での出場は確実に保証してくれるはずだ。
日本ハム時代の大谷を知るプロ野球OBはこう見ている。
「大谷は環境が大きく変わることを好みません。人見知りするところもあります。野球、私生活の両方で交友関係を大切にするし、エンゼルスにも愛着があると思います」
かつて、大谷は「ヒリヒリするような」という言葉を使って、優勝争いがしたいと訴えている。だが2010年以降、エンゼルスがポストシーズンマッチに進出したのは14年の地区シリーズだけだ。
ここで大谷に確認したいのは「ヒリヒリする」とは、エンゼルスが強くなって仲間たちと頂点を目指したいのか、それとも常勝チームの緊張感に飢えているのかだ。
実のところ、去就問題について、大谷自身も決めかねているのではないだろうか。
(以下次回/スポーツライター・飯山満)