あの「お色香グループ」総直撃(1)藤森夕子(C.C.ガールズ)「青田典子ちゃんと再結成話で…」

 1991年にデビューし、女性グループブームを牽引したC.C.ガールズ。初期メンバーである藤森夕子(54)が追想する、最盛期秘話!

─今、C.C.ガールズがステージで歌い踊っている当時の映像を観ると、最近のK-POPのような色褪せないスタイリッシュさですよね。

藤森 私たち自身も「かっこいいことがやりたいね」と言っていました。衣装もメイクもアーティスティックにしてくださって。デビュー曲「D.D.GAPS HERE」の黒いボンデージ衣装、好きだったなあ。

─ゴージャスボディと美脚が生える、ハイレグ水着の先駆者でもありました。

藤森 〝鯖系〟のハイレグ水着をよく着てましたね。

─鯖系とは‥‥?

藤森 光り物の鯖のような、ゴールドやシルバー、オーロラのギラギラした水着のことを、そう呼んでいたんですね(笑)。でも、私たちの仕事は歌やグラビアだけでなく、バラエティーまでオールジャンル。とにかく忙しくて、寝ずに頑張っていました。

─多忙を極めた時期の生活は、どんな感じですか?

藤森 海外ロケ番組も多くて、例えば2週間フランスロケに行き、帰国したら「じゃあ明後日からイタリアね」とか。当時はメールもないので逐一連絡が入ってこなかったんですよね。月に1回以上、海外に行っていた気がします。グラビアでは、サイパンに行くことが多すぎて、怪しまれて税関で止められたこともありますもん(笑)。

─今は旅番組もグラビアも国内ばかりで、当時のバブリーさがうかがえます。

藤森 ゴールデンタイムの海外特番で、タレントからスタッフまで総勢100人規模で行くこともありました。

─よく「海外ロケ中、口説かれる」という話を聞きますが、ご経験は?

藤森 海外での誘いはどうかな。タレントさんではなかったけれど、スタッフの方からは何度かありました! 部屋の電話が鳴り、事務連絡かと思って出ると「今から夜空を見に行きませんか?」と。「これは‥‥そういうことだな」とピンと来て「ごめんなさい、もう寝ていました」と切ったんです。そうしたら、またかかってきて、鳴り終えるまで電話にずーっと枕をかぶせていました(笑)。

─下心ミエミエ!

藤森 男性アイドルとの交流話じゃなくてごめんなさい(笑)。そもそも共演しないですからねえ。お笑い芸人さんとの共演は多かったです。

─「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ系)に出ていらっしゃいましたよね。

藤森 そう。ボディコン姿で自前のハイヒールを履いて泥の中走ったり。「お金ないから新しい靴が買えないのに、どうしよう!」って(笑)。よく体を張っていましたが、一番覚えているのはドッキリ番組。私は海に入ってゴムボートに穴をあける仕掛け人だったんです。が、ゴムボートにいくら力いっぱい千枚通しを振り下ろしても、何度も何度もビヨーンとはね返されてしまって。しかも、その日の海は台風明けで大荒れ。溺れそうになり、まさに九死に一生状態でした。

─今なら大問題になりそうな話ですね‥‥。

藤森 髪の毛にトリモチがベッタベタにくっついて、深夜にテレビ局のシャワー室で「取れないよお」と一人嘆いたこともあります。そういうハードな仕事や、音楽活動の中で「渋谷公会堂でライブ」という目標を達成したこともあって、メンバーは家族のような、戦友のような存在でした。表面的な関係じゃないんですよ。昨年10月から3カ月間の期間限定でカフェをオープンした時に原田徳子ちゃんが来てくれましたが、久しぶりに会っても顔を見た瞬間、言いたいことが伝わりましたもん。

─他のメンバーとも今でも交流がありますか?

藤森 昨年、青田典子ちゃんに間違い電話をかけてしまったら、すぐに「どうした夕ちゃん?」と折り返してくれて。近況を長話ししつつ、「また一緒にやれたらいいね」と言い合いました。

─おお! 再結成!

藤森 4人が同じタイミングで同じ方向を向けたら、それがかなうかもしれませんね。

─藤森さんは現在、カフェオープンのほか、息子さんへのお弁当画像をほぼ毎日投稿しているインスタグラムが話題ですが。

藤森 昔から料理が好きなんです。幼稚園の頃から今まで、ケンカして「もう作らない!」と思っても意地で4時半に起きて作っています(笑)。お弁当は親子のコミュニケーションツールでもあるので、すごく大事にしています。

*週刊アサヒ芸能2月23日号掲載

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