「あさま山荘事件」連合赤軍兵士が「総括リンチとその後」を語った【1】30人いた兵士がわずか5人に

 1971年12月に誕生した連合赤軍は、あさま山荘にたどり着くまでに、12名の死者を出した。その理由は「総括」と称した集団リンチだった。「ついていけない」と離脱を選んだ者もいれば、最後の籠城まで運命をともにした者も。元メンバーが当時の心境とその後の人生を振り返った。

 長野県・軽井沢のあさま山荘に、銃や爆弾を所持した連合赤軍5人が管理人を人質にとって籠城したのは、半世紀前の1972年2月19日。警察はモンケン(鉄球)を打ち付けて山荘の壁を破り、28日、5人は逮捕され人質は解放された。

 群馬県の榛名山の山小屋で連合赤軍が結成されたのは、前年の12月。猟銃店から奪取した銃を持ち、爆弾を作る技術を持っていた。約30人の兵士がいたが、5人となったのは逮捕者や逃亡者が出たほか、仲間内の総括リンチで12人が死に至っていたからだ。

 山小屋で文字通り寝食をともにしてきた仲間を殺す、他に例を見ない殺人事件。兵力を自分たちで減じてしまうのだから、こんなに不合理なこともない。

 半世紀経っても不可解なこの事件の謎に迫るべく、4人の連合赤軍元兵士に話を聞いたのが、拙著「2022年の連合赤軍」(清談社Publico)である。

 赤軍派と革命左派という2つのグループが統合してできたのが、連合赤軍。赤軍派幹部の森恒夫らと、革命左派幹部の永田洋子らとの間で統合が合意され、全体会議で発表したのが、71年12月21日だった。

 その日の夜、東京から榛名ベース(榛名山の山小屋)にやってきた、革命左派の岩田平治や加藤能敬は「獄中、合法、非合法の連帯を強化せねばならぬ」という意見書を携えていた。

 獄中とは、米軍基地爆破未遂容疑ですでに逮捕されていた、革命左派議長の川島豪を指す。非合法とは、山岳ベースにいるメンバー。合法とは、集会やデモを行ったり逮捕者への救援を行う者たち。

 その時のことを、加藤能敬の弟の倫教は語る。

「永田の立場に立って考えると、それは本当に許せないですよ。自分は赤軍と、軍どころか新党まで作ろうとしてるところへ、いきなりグシャっと来たわけですよ。永田からしたら、もう敵ですよ」

 川島豪は赤軍派との統合に消極的であった。川島、そして彼を支持していると見える合法は、敵だというわけだ。

深笛義也(ノンフィクションライター)

*「あさま山荘事件」連合赤軍兵士が「総括リンチとその後」を語った【2】につづく

(写真はNHKアーカイブスより)

ライフ