赤レンガの分厚い石造りで小さな窓に半円のアーチ。そんなロマネスク調様式の、いかにも西洋並みの近代化を目指した明治日本の建物。奈良県奈良市に今も遺されている「奈良少年刑務所」(旧奈良監獄)の遺構は、刑務所でありながらそんな明治のロマンを感じさせる佇まいを今に伝えているが、これが今度はホテルに様変わりするという。「監獄ロック」ならぬ「監獄ホテル」になるのだ。
「国交省は3月25日に旧奈良監獄の保存と活用事業として、同監獄をホテルに転用する案を認定しました。事業主体はあの星野リゾート。なので、竣工予定の25年3月以後には、歴史的な監獄が高級ホテルとして生まれ変わることになりました」(全国紙記者)
奈良監獄は1908年(明治41年)に建設された。それまでの監獄と言えば、江戸時代では時代劇でたまに見られるような、木組みで囲われたもので中は素通し。座敷牢ともなると、1.5畳ほどの狭い駕篭みたいなもので、キリギリスの虫かごに似ているところから「ギス監獄」などとも呼ばれていた。
ところが1853年にペリーの黒船が来航してから5年後の1858年には日米修好通商条約が結ばれて鎖国は終わりを告げるのだが、同条約はいわゆる「不平等条約」であったため、日本はこれを改めるために近代化を急ぐことになる。それは監獄も同様で、人権意識の欠片もない江戸時代の監獄を近代的なものにするため、西洋風の監獄の建設が急がれた。その第1号として建設されたがこの奈良監獄で、その後、長崎、金沢、千葉、鹿児島にも西洋風近代監獄が建設されて、これを含めて「5大監獄」と呼ばれている。
奈良監獄は戦後の1946年(昭和21年)からは奈良少年刑務所として使われてきたが、2017年に閉鎖。それでも日本の近代化を象徴して、5大監獄でも唯一赤レンガの姿を遺す貴重な建物ということで、保存・活用を望む声が多かった。
「17年には国の重要文化財として指定されて運営先を選定する中、最終的に18年に星野リゾートがホテルとして活用することが決まりました。その後、開業を遅らせるなどしていましたが、国交省の認定によって最終的に決定が下りたということです」(同)
実は世界では監獄ホテルは意外と複数存在するが、日本では初のことだという。
もともと奈良県は言うまでもなく東大寺、春日大社に法隆寺…と観光資源は多くあって、もちろん人気観光地だが、地元にとっては“日帰り客”ばかりなのが悩みの種だった。例えばコロナ前のインバウンドで絶好調だった19年のデータを見ても、なんと90%が日帰り客だ。大阪という大都市の衛星都市のような場所柄から、「昼は奈良見物、夜は大阪」というジレンマに悩まされ続けてきたのだ。そんなところに、あの星野リゾートが味方に付いたというのだから、奈良県としてはなんとも心強いに違いない。
「ただ奈良の新しい観光施設という話になると、奈良ドリームランドの失敗がどうしても思い起こされます。奈良監獄からそう離れていない場所で1961年7月に開業した同ランドは、あの東京ディズニーランドよりも先に日本で最初のテーマパークとして開園したもので、一時は横浜にもドリームランドを運営していました。ところが運営の問題などもあってドリームランドは06年に閉園してしまい、16年になってようやく解体が始まる以前には、その広大な廃墟が地元では長いこと有名な肝試しスポットになっていたというくらいです」(週刊誌記者)
そのドリームランドも問題の根幹は、日帰り観光にあったとも言われる。一方の星野リゾートは宿泊施設でその弱さを補うはず。是非とも今度は奈良観光の光となって欲しいものだ。
(猫間滋)