極貧中学生だった大東駿介、生きがいはウサギと”毎週土曜日のあの人”

 映画「37セカンズ」が、「第69回ベルリン国際映画祭」のパノラマ部門で最高となる観客賞と国際アートシアター連盟賞をダブルで受賞。出生時に37秒間呼吸が止まったことにより、脳性麻痺となった漫画家のゴーストライターを描いた同作は、単館ロードショーながらも初の公開からおよそ2年間でローマ、ハワイ、ロンドン、トロントほか多くの国の映画祭で受賞を重ねている。

 同作で、三番手となるホームヘルパー役を演じたのは大東駿介。デビュー作となった05年のドラマ「野ブタ。をプロデュース」(日本テレビ系)以降、映画に舞台にマルチに活躍。昨年はNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(NHK)に出演して、順風満帆な俳優人生を送っていた。同年、別居婚の妻と3人の子どもがいたことを明かし、衝撃を与えている。

 なぜ、3人も子どもを作りながら、別居を貫いたのか。複雑な家庭環境が影響していたと、週刊誌記者は言う。

「小学3年生のときにお父さん、中学2年生のときにお母さんが蒸発して、ひとりっ子の彼は独りで暮らすことになったのです。自宅で見つけた小銭で駄菓子を買ったり、学校の先生から菓子パンをもらうなどして、飢えをしのいだ。そうした家族崩壊の経験から、家庭を持つことに後ろ向きだったようです」

 家族のことは、友だちに隠した。やがて精神が病み、不登校になり、飼っていたウサギと家にひきこもった。1週間で唯一笑ったのは「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)を見ているとき。同じ大阪出身のナインティナインだけが心の拠り所で、最悪の行動に出ようとした自分を抑止してくれた。

「大東にとって岡村隆史は神様のような存在だったそうです。毎週土曜日の放送が一番の楽しみで、大きな救い。必ず録画をして、シーンやセリフを完ぺきに覚えたそうです」(前出・週刊誌記者)

 昨年、岡村がトーク相手を務める関西ローカルの「おかべろ」(関西テレビほか)にゲスト出演して、念願の初対面。幼少期のすべてを打ちあけ、感謝の意を述べた。

 ちなみに、同級生にはお笑いコンビ・金属バットのツッコミである小林圭輔がいた。小林ら仲間は、引きこもってしまった大東の自宅の扉を壊して入って、友人宅に連行。寿司やカレー、焼きそばなどをたらふく食べさせたという。

 のちに伯母宅に引き取られ、人並みの生活を取り戻した。自活して収入を得るために、19歳で芸能界デビュー。先の「37セカンズ」で考え方がガラリと変わり、コロナ禍にあった昨年4月から家族5人の生活をスタートさせている。

 コロナといえば、暗いニュースばかりが先行しがち。そんななかでも、幸せな生活を手に入れた俳優もいたのだ。

(北村ともこ)

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