永江朗「ベストセラーを読み解く」戦後日本の闇の部分を描いた悲しくも愛おしいミステリー

 シリアスな純文学からユーモラスな青春小説、クライムノベルまで幅広い作品を書いてきた吉田修一であるが、今度は本格ミステリーに挑戦した。

 舞台は長崎県北西に位置する小さな島。個人が所有するプライベートアイランドである。所有者の梅田壮吾は、スーパーマーケットやデパートの成功によって一代で財を築いた。戦前に生まれ、呉服問屋の下働きから身を起こした苦労人だが、今は引退して島で優雅に暮らしている。

「一万年愛す」というのは宝石の名前である。25.59カラットもあるルビーで、ある王女のコレクションだった、といういわくつきのもの。この宝石の探索を、壮吾の孫である豊大が、探偵の遠刈田蘭平に依頼するところから小説は始まる。壮吾が夜な夜なこの宝石を探しているというのである。認知症なのだろうか。

 島の邸宅で、壮吾の米寿を祝う宴が催される。壮吾の息子、一雄とその妻の葉子、孫の豊大と乃々華、家政婦の清子ら、そして、遠刈田と元警部の坂巻丈一郎が島の屋敷に集まる。

 なぜ元警部がいるのかというと、かつて壮吾はある女性の失踪事件の犯人ではないかと疑われたことがあり、坂巻が担当したからだ。事件はいまだ未解決のままだ。いわばかつての宿敵なのだが、奇妙な友情を感じてもいる。

 祝宴の後、壮吾が姿を消してしまう。全員で屋敷の内外を探すが見つからない。米寿の老人が泳いで島外に出て行くとも考えられない。小さな島という密室から、どうやって壮吾は消えたのか。その理由は何か。やがて謎めいた言葉が書かれた遺書が見つかる。

 謎解きは本格ミステリーのキモだから、あえて詳しく述べるような野暮なことはしたくない。しかし、坂巻元警部が招かれていることから、この密室事件がかつての女性失踪事件とかかわりがあることは察しがつくだろう。

 屋敷にはシアタールームがあり、壮吾はたびたび映画を楽しんでいたらしい。シアタールームのテーブルには、姿を消す直前まで壮吾が見ていたと思われるDVDが置かれている。「飢餓海峡」(65年)、「砂の器」(74年)、「人間の証明」(77年)。いずれも日本映画史に残る名作であるが、3作にはいくつか共通点がある。戦後の混乱期が背景にあること。過去を隠し、幸運をつかんで社会的に成功した人間のもとに、過去を知る人物が善意で訪れ、それが悲劇的な結果を生んでしまうというストーリーであること。

 ならば、梅田壮吾が姿を消したのも、戦後の混乱期と彼の成功譚の裏側にあるなんらかの事情が理由なのか。祝宴に招かれた家族や元警部、探偵たちが、あれこれ推理しては自説を開陳する。本書を読んでいると、この3本の映画を観たくなってくる。やがて浮かび上がってくるのは壮吾の意外な人生と、戦後日本の闇の部分である。

 最後の最後、宝石の謎、そして奇妙な書名の謎が明らかになる。悲しくも愛おしい物語である。

《「罪名、一万年愛す」吉田修一・著/1980円(KADOKAWA)》

永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。

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